MERCHANDISE
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日本における浄土教の展開を、教理的観点から分析するとともに、社会一般の情勢とも関連づけて評価した恰好の概説書。
【目次】
はしがき
第一章 序説
浄土教の発祥/浄土経典/「浄土三部経」の内容/竜樹・世親の浄土思想/シナにおける初期浄土教/曇鸞/慧遠と智顗/道綽/善導/その後の浄土教
第二章 浄土教の移植と定着
聖徳太子と浄土教/仏像・繡帳/浄土経典の将来/祈りの信仰/信仰の純化/智光と浄土教/浄土信仰の展開/平安初頭の浄土信仰/円仁と常行堂/山の念仏/念仏の普及/良源の念仏/禅瑜の思想/知識階層の信仰
第三章 源信をめぐる浄土教
勧学会/二十五三昧会/源信/『往生要集』の内容/『往生要集』の念仏/『観心略要集』と『阿弥陀経略記』/源信の念仏の特色/源信が後に与えたもの/源信のあとをうけたひとたち/迎講と浄土願生/念仏の夾雑性
第四章 末法と浄土教
末法思想/阿弥陀像/地蔵/聖と沙弥/四天王寺と異相往生/『末法燈明記』の成立
第五章 院政期の諸宗浄土教
諸宗の念仏の受容/三論系 永観・珍海/真言系 実範・覚鑁・仏厳/天台系 良忍・真源・忍空
第六章 本覚思想と浄土教
源信の偽撰/『菩提要集』/『真如観』/『観心往生論』/『菩提集』/『真如観』の成立年代/『自行念仏問答』
第七章 法然・親鸞の浄土教
黒谷と法然/法然の著作と『選択集』/法然の二つの性格/法然の念仏/法然の後をうけたひとたち/邪義異端/幸西と一念義/一念の思想系譜/親鸞/親鸞の念仏思想
第八章 結語
解説 梯 信暁
索引

『涅槃経』の成立過程や思想内容をわかりやすく解説した好著。日本の仏教にも多大なる影響を与えた『涅槃経』の真髄とは何か。
序
前篇 総説
第一章 序説
第二章 涅槃経の歴史的地位
第三章 涅槃部の経典
第四章 涅槃経の成立過程
第五章 仏の入滅と涅槃経
第六章 純陀と迦葉菩薩
第七章 涅槃経の要旨
第八章 涅槃経の伝訳
第九章 涅槃経の流伝
後篇 本文解説
第一集 仏寿の巻――寿命品・金剛身品・名字功徳品
集衆/鶴林/二施/純陀/純陀と文殊/三徳/常楽我浄/客医乳薬/迦葉菩薩/問偈/長寿の業/愛念呵責/変化身/護持正法/名字功徳
第二集 如来性の巻――如来性品・大衆所問品
如来性/四法/断肉/制戒/秘密蔵/大涅槃/一闡提/人の四依/正法の余八十年/涅槃経の義味/知法と持戒/法の四依/邪正/悉有仏性/護戒/四諦/四倒/悉有仏性/一帰依処/半字満字/鳥喩/月喩/断善根/微密の教/本有今無偈/三乗/法華経と涅槃経/純陀の供養/不入涅槃/有余義/一闡提の定義/少分の一切/文殊付嘱
第三集 五行の巻――現病品・聖行品・梵行品・嬰児行品
五行/病因/三種病人/有病行処五種人/五行と如来行/聖行/護持禁戒/観四聖諦/上智中智/二諦/盲人乳色を知らず/二種転法輪/五味相生の譬/血写/雪山求道/梵行七善四無量心/極愛一子地/仏は煩悩の因縁とならず/空平等地/四無礙/本有今無偈/世諦即第一義諦/常住法と証得/法滅時の諍論/闍王入信/天行品/嬰児行
第四集 十徳の巻――光明遍照高貴徳王菩薩品
十事功徳/微密の義/光明遍照/涅槃常住/一闡提と仏性/売身供養/六難値遇/一篋四蛇/如来不定/涅槃と大涅槃/八十種神/無勝世界/涅槃/心の本性/闡提発心/性空修空/非仏説
第五集 師子吼説の巻――師子吼菩薩品
催問/仏性とは何か/涅槃無因/仏性正因/拘尸那城涅槃/無相定/業と修行/仏性と修行/大信心/不退
第六集 迦葉説の巻――迦葉菩薩品
迦葉菩薩/善星比丘/二十一諍論/善見太子/不解我意/恒河七衆生/十想
第七集 破邪の巻――憍陳如品
憍陳如/唯仏是真/先尼梵志/十外道帰伏/阿難は何処/須跋陀/得益
大涅槃経序
涅槃経略科及び要項
涅槃経三本対照表
文庫版解説
仏典研究の歴史性――横超慧日『涅槃経』を再読する―― 下田正弘
西洋的近代を超え、何ものにも縛られることなく無礙自在に生きる「絶対的自律」への道を考究し続けた稀代の哲人・久松真一。その哲学の核心を示す論考と自叙伝的エッセイ「学究生活の想い出」を収録。解説=星野元豊・水野友晴
無神論
人間の真実存
悟り―後近代的(Post-modern)人間像―
禅―近代文明における禅の意義―
東洋的無の性格
幽玄論―特に能における―
学究生活の想い出
〈解説〉無礙の生涯(星野元豊)
〈文庫版解説〉絶対的自律の実現(水野友晴)
「縁起」とは何か。そして誰が説いたのか。仏教史を貫く根本思想の起源と展開を探究し、その本来の姿を明らかにする画期的論考。
まえがき
Ⅰ 「縁起」とは何か
第一章 縁起思想の歴史
第二章 縁について
第三章 「縁起」と「一即一切」―「即」について
第四章 縁起説の根原の無常・苦・無我
Ⅱ 「縁起」と「関係性」
第五章 関係性の思想―仏教における自己ないし自己の現実との関係
第六章 関係(縁)・関係性(縁起)・関係主義(縁起説)
—「縁」から「縁起」への二つの仮説
第七章 関係と認識―十二支縁起説について
Ⅲ 初期仏教の縁起説
第八章 初期仏教の縁起説
第九章 「これがあるとき、かれがある」
第十章 此縁性(イダッパチャヤター)
第十一章 縁起説の正しい理解
第十二章 縁已生と縁起
第十三章 パーリ律「大品」とサンスクリット『四衆経』との縁起説
第十四章 縁起思想史におけるサーリプッタとナーガールジュナ
初出一覧
解説 一色大悟
索 引
一切衆生とは、仏性とは何か。はたして全ての人にほとけになれる本性が具わっているのか。仏教を本当に知るための最重要論考。
改版に当って
はじめに
Ⅰ
如来蔵と仏性
仏性の話
一切衆生悉有仏性
如来と如来蔵
Ⅱ
如来の出現
宝性論入門
Ⅲ
如来蔵思想と密教
Ⅳ
道元の仏性論
Ⅴ
悉有仏性・内なるホトケを求めて
釈尊の原像
生死はほとけの御いのち――道元に学ぶ生死観――
本証妙修ということ
初出一覧
文庫版解説 仏教思想における言説様相の差異について 下田正弘
ウィトゲンシュタインは「哲学者」か、それとも「宗教者」か?ひとつの孤独な魂が、強靭な理性と「神との和解」のはざまで悩みぬく。
はじめに
文献略号一覧
凡 例
第一章 ウィトゲンシュタインの生涯
一 カトリック様式による埋葬
二 音楽と自殺
三 数学から哲学へ
四 ケンブリッジへ
五 第一次世界大戦の後
六 ふたたび哲学へ、ケンブリッジへ
七 ケンブリッジ大学での講義など
八 最後の日々
第二章 第一次世界大戦とトルストイとの出会い
一 戦場のウィトゲンシュタイン
二 福音書の男
三 『草稿一九一四―一九一六』
第三章 「語りえないもの」としての宗教
一 『論理哲学論考』と「語りえないもの」
二 論理実証主義とウィトゲンシュタイン
第四章 『秘密の日記』にみる『論理哲学論考』の基本的性格の成立
一 『秘密の日記』が書かれた時期とその内容
二 『草稿』にみられる「一九一六年六月一一日」という日付
三 ブルシーロフ攻勢
四 『論考』の基本的性格の決定
五 「語りうるもの」と「語りえないもの」の相補性
六 ふたたび『論考』六・五二二にかえって
七 自らを「示す」神――『論考』の「六・五二二」の解釈
第五章 『哲学宗教日記』にみる「宗教者」ウィトゲンシュタイン
一 「神との和解」
二 変転する魂の記録
三 人は新しい言語ゲームを学ぶ
四 神からの要求と告白
五 絶対的なものを目指す努力
六 光の輝きとともに
七 生の問いは「宗教的な問い」である
八 太陽を待つ
九 「そのあるがままに」
一〇 「神のみがほめたたえられるべし!」
第六章 ユダヤ人意識と同性愛をめぐって
一 ウィトゲンシュタインのユダヤ人意識
二 同性愛
第七章 ウィトゲンシュタインの宗教観
一 「絶対的価値」と「相対的価値」
二 「証拠」の拒否と、生活を「統制する」ものとしての宗教
三 制度としての宗教の批判
四 寛容の精神
終章 自分が「神に対して」語ることと「神について」他人に語ること
一 ウィトゲンシュタインの「矛盾」
二 「矛盾」を解く鍵
むすび
ウィトゲンシュタイン略年譜
宗教者としてのウィトゲンシュタインをさらに知るための読書案内
増補版へのあとがき

戦前のブルースから移民の音楽、南米のフォルクローレを始め、各地の骨董音楽を掘り起こす一大名所〈Death Is Not The End〉の十周年記念の限定Tシャツ。Gildan Heavy cottonのボディでサイズはLサイズになります。



完全オーガニックの草木染めトートバッグを、アンビエント、電子音楽、インド音楽など多ジャンルにわたり世界中の音楽を取り扱う京都のレコード店Meditationsと共に製作しました。南インドのオーロヴィルにて、地元のオーガニックコットン・キャンヴァスを使い、アーユルヴェーダの薬草と発酵を繰り返し何年も熟成された藍を使って染め上げたトートバッグです。
◉コラボレーションについて
アンビエントは、その音楽が流れる環境の一部となる音楽です。AMBIENT KYOTOは、京都の文化・人々と共に作り上げることを目指して、コラボレーション企画を実施していきます。今後も、食、香り、伝統工芸、音楽、アートなど多数の企画を発表していきますので、ご期待ください。
Youtubeの動画は南インド、オーロヴィルのカラーズ・オブ・ネイチャー社での製造過程を撮影した映像。

裸のラリーズ──水谷孝、その言葉たち。
オリジナル・メンバー中村趫の写真作品と、日・英・仏、3言語による「裸のラリーズの詩」定本。哲学者・市田良彦・編集解説。鈴木創士・寄稿。
「イビスキュスの花」
1969年録音/完全未発表音源(20分19秒)収録CD付
The Last One〈Poésies : Les Rallizes Dénudés〉裸のラリーズ詩集
著者: 水谷孝
写真: 中村趫
著者・編者: 市田良彦
造本装幀: 宇治晶
ISBN: 978-4-909856-01-2
発売 / SLOGAN
発行 / The Last One Musique
定価: ¥9,000 + 税
248ページ
箱入り
CD付
寸法: 22.3 x 22 x 4 cm
水谷孝(1948-2019)
1967年、ロックバンド、裸のラリーズを京都にて結成。1970年の秋から東京へ拠点を移し、ライヴを中心に活動。1991年、3枚のオリジナル・アルバム『’67-’69 Studio et Live』、『Mizutani / Les Rallizes Dénudés』、『’77 Live』を同時リリース。
写真: 中村趫(きょう)
1949年生まれ。裸のラリーズの結成時メンバーで、数年を除き70年代を通じて同バンドに在籍(中村武志名義)してセカンドギターを担当。1980年代以降は写真家(中村趫名義)として活動。1987年に最初の個展「仮面の肖像」を開催して以来、女性や関節人形をモチーフに独特の耽美的写真作品を発表してきたが、2001年9.11を契機に自己世界の解体を通して新たなる覚醒の地平を目指す。主な個展に「LABYRINTHE」(ゴダント/神戸/1991年)、「沈黙の劇場」(美蕾樹 / 渋谷 / 1997年)、「メランコリアの楽園」(パラボリカ・ビス / 浅草橋 / 2011年)、「辺縁の森へ」(アスタルテ書房 / 京都 / 2018年)、「幻の50年」(マロニエ / 京都 / 2021年)などの他、グループ展や出版物への掲載など多数。
編集・解説: 市田良彦
1957年生まれ、神戸大学名誉教授。著書に、『ルイ・アルチュセール──行方不明者の哲学』(岩波新書)、『存在論的政治──反乱・主体化・階級闘争』(航思社)、『革命論──マルチチュードの政治哲学序説』『アルチュセール ある連結の哲学』『闘争の思考』(以上,平凡社)、『ランシエール新〈音楽の哲学〉』(白水社)など。訳書に、ルイ・アルチュセール『終わりなき不安夢──夢話1941─1967(附:二人で行われた一つの殺人)』(書肆心水)、『哲学においてマルクス主義者であること』(航思社)、『政治と歴史──エコール・ノルマル講義1955─1972』(共訳,平凡社)、『アルチュセール哲学・政治著作集』全2巻(共訳,藤原書店)など。

Jordan Belson(1926-2011), Mary Ellen Bute(1906-1983), Charles Dockum(1904-1977), Jules Engel(1909-2003), Barry Spinello(?)の初DVD化作品集。 オシロスコープを用いた初期実験的手法から、フィルムに直接ペイントした手法をはじめ、アブストラクト・アニメーションを体験する上で、避けては通れない非常に貴重な内容。リージョンフリー、約79分収録。
Mary Ellen Bute: Polka Graph (1947), Color Rhapsodie (1948) and Abstronic (1952)
Jordan Belson: Mandala (1953), Meditation (1971) and Chakra (1972)
Charles Dockum: Mobilcolor Performance at the Guggenheim (1952), Demonstration of Mobilcolor Projector (documentary, 1966) and Mobilcolor Performance Film (1969)
Barry Spinello, Sonata for Pen, Brush and Ruler (1968)
Jules Engel: Landscape (1971), Mobiles (1978) and Play-Pen (1986)
皇居での御進講をもとに寄稿。著者の仏教理解を簡潔に、しかも余すところなく述べた、定評ある名著。
序
第一講 大智
第二講 大悲
判型・ページ数 4-6・126ページ
1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。
差別は、誰かが作りあげたものではなく、「自分」の心が作り出している。
利害を現したあからさまな差別から、「かわいそうな人」といったやさしさや思い遣りに隠された意識されない差別まで、さまざまな差別の裏に隠れた自己中心的な罪悪性を明らかにする。さらに、自己中心性を克服する道を示して、あたたかい心で繋がった人間の連帯と、真の平等社会の実現を説いた講演録。
https://hozokan.tameshiyo.me/9784831879196(試し読み)
マイクロアグレッション等にご興味ある方にも推薦。
一 人間、この深重なるもの
一、病めるもの/二、意識より深い罪業性/三、いのちが抱える矛盾/四、自分は正しいという罪/五、宗教心が開く世界/他
二 真に私を支えるもの、生かすもの
一、まあまあという意識/二、人生に対する態度決定/三、まいらせ心わろし/四、見つめあうということ/五、自身の在り方を悲しむ心/他
三 願いによって開かれる平等社会
一、差別心に気づくことのない差別/二、差別意識を増幅するこだま/三、責任転嫁の生き方/四、ざわめきに生きる鈍感さ/五 差別するものの問題/他
資料「水平社宣言」「業報に喘ぐ」
あとがき……蒲地義秀(真宗大谷派普賢寺住職)
判型・ページ数 A5・116ページ
1931年、京都市に生まれる。大谷大学文学部卒業。大谷専修学院講師、教学研究所所員、真宗教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。九州大谷短期大学名誉教授。2008年11月21日逝去。主な著書は、『宮城顗選集』全17巻、『正信念仏偈講義』全5巻、『“このことひとつ”という歩み―唯信鈔に聞く―』『後生の一大事』『念仏が開く世界』『真宗門徒の生活に自信を持とう』『僧にあらず、俗にあらず』(法藏館)など。
日本を代表する僧侶である親鸞は、なぜ自らを「非僧非俗(僧侶でもなく、俗人でもない)」と宣言したのか。有名なその言葉に導かれ、あらゆる縛りから解放されて、ありのままに生きるとはどういうことかを説いた名講話。
https://hozokan.tameshiyo.me/9784831879202(試し読み)
非僧非俗の精神
俗世間を生きることの意味/国が求める僧としての型/非僧非俗は「人間とは何ぞや」という問いかけ/外道とは自分の外なるものに寄りかかる道/生き方に迷う意味/退屈の裏に感動を求めている/求めていればこそ、空しい/私をうながし続けていたものに出遇う/本当に生きたことがあるか/事実を受けとめる勇気/わかったという立場が破られる/どうかその道意に目覚めてほしい
ねんごろの心――『御消息』に学ぶ――
言葉の響きを聞く/言葉は声である/「往生」とはただ亡くなったことだけをいうのか/生き方に迷うことは、人間に与えられた能力/「往生」は名詞でなく動詞である/「ねんごろ」とはいのちを共にしているということ/つながりをいのちとして生きている/いのちの願いによってあなたは生れ出た/この私を私として愛する/いのちの叫びを聞き取る/さあ、いのちの事実に帰ろう
あとがき……松林 了(真宗大谷派西岸寺前住職)
判型・ページ数 A5・142ページ
1931年、京都市に生まれる。大谷大学文学部卒業。大谷専修学院講師、教学研究所所員、真宗教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。九州大谷短期大学名誉教授。2008年11月21日逝去。主な著書は、『宮城顗選集』全17巻、『正信念仏偈講義』全5巻、『“このことひとつ”という歩み―唯信鈔に聞く―』『後生の一大事』『念仏が開く世界』『真宗門徒の生活に自信を持とう』『僧にあらず、俗にあらず』(法藏館)など。
金子先生の生前最後の講話で語られる他力念仏の教えは、人類の救いを根源的に明らかにする永遠不滅の教えである。『歎異抄』の真髄を簡潔な言葉で語りかける入門書の決定版。
師訓篇
第一講 人生観の基本的な意義
歎異抄は日本の聖典
歎異抄の構成
人生観と生死観
人生観と人間観
往生極楽の道とは
人と人との間柄
愛憎の悲しみ
すべての人の救われる場
浄土は個人的ではない
生と死の恐れ
人生における念仏の意味
第二講 仏教の世間化か世間の仏教化か
死と生きがい
人生と摂取不捨
罪悪観
利他の心
大乗教のめざすもの
時代は仏教の要求に応ぜよ
慈悲とヒューマニズムと平和の問題
世間の仏教化と浄土
追善追福をしない
教育の心
時代とともに救われる道
第三講 人生を生きる根拠
人生観から人間観への深まり
断念 あきらめ の教え
障り多い人生と無碍の一道
幸・不幸に支配されない
善悪を超える
断念のない寂しさ
念仏の実践は非行・非善
人生に喜びを与えるもの
仏に喜びを与えるもの
仏に予定される世界
名残りを惜しむ人生
『歎異抄』の良さ
歎異篇
第四講 宗教の実習
知識人に敬遠される歎異篇
宗義学の嫌われる理由
歎異された二つの異義
信心で救われるか、念仏で救われるか
宗教の実習
仏の大悲の心の表れ
南無阿弥陀仏とお呪い
他力の念仏
名号の功徳と念仏の功徳
体全体が念仏になってしまった
第五講 凡夫の救われる道
『歎異抄』の問いかけ
学問でも道徳でもない道
学問と信心
知識の限界を知る知識人
他人の口を封じるための学問
来世の往生
煩悩具足の身をもってさとりをひらく
六根清浄
有限なるこの世と無限なる浄土
普遍なるもの
凡夫の救われる道
第六講 宿業と自由
宿業にあらずということなし
宿業と自由
生業と道心
道心
悲しみを感じる
悲しみを通して無限を知る
信心歓喜
限りなき願いに生きる
『歎異抄』本文
あとがき
判型・ページ数 4-6・211ページ
1881年新潟県高田に生まれる。真宗大学卒業。1911年浩々洞の雑誌『精神界』の編集担当。東洋大学教授、真宗大谷大学教授、広島文理科大学講師、1951年大谷大学名誉教授に就任。1976年10月20日逝去。主著 『金子大榮著作集』(春秋社)、『金子大榮選集』(コマ文庫)。
