MERCHANDISE
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「二十世紀の偉大な賢者ラマナ・マハルシは、一九三〇年代に、のちに彼の恩寵によって真我実現することになる弟子のアンナーマライ・スワミから、『真我実現のために読むべき本を教えてください』と求められた。
そのとき、マハルシが挙げた六冊の聖典(Kaivalya Navanitam, Ribhu Gita, Ashtavakra Gita, Ellam Ondre, Swarupa Saram, Yoga Vasishtha)の中でもマハルシが最も愛し、頻繁に教えを引用し、重要視した聖典が『ヨーガ・ヴァーシシュタ』である。」
(「訳者あとがき」より)
「この本はただの本ではない。この聖典はあなたに真我実現を与えることのできるグルであって、ただの本ではないのだ。だから最高位の敬意を払いなさい」
――H・W・L・プンジャジ(パパジ)
「この聖典を学び、その意味について黙想する人に、苦行や瞑想やマントラの必要はない。なぜなら、この聖典を学べば解脱は確実だからだ」
――賢者ヴァシュシュタ
「満足とは何か? 求めても得られないものへの願望を放棄し、求めずして得たものに満足すること、そのために得意がることや憂鬱になることもない―それが満足である。自己に満足しないかぎり、人は悲しみに支配されてしまう。満足が生まれると、清らかなハートが花開く。何も所有せずに満足する人は、世界を所有するのだ。」
「ラーマよ。無限の意識のエネルギーが存在し、それは常に活動している。ただそれだけが、未来に起こる避けることのできない出来事の正体なのだ。なぜなら、それは時間の中のすべての時代を貫いているからだ。宇宙の中のあらゆるものの本性は、それによって運命づけられている。」
「心という鬼に打ち勝つには、自分自身の努力で真我の知識に達し、心が求める快楽への渇望を棄て去るしかない。だが、正しい態度を培えば、子供が一つの事から別の事へと簡単に注意を転じることができるのと同じように、まったく努力せずにそれを達成することができる。渇望を棄てきれない者に災いあれ。ただ無欲だけが人にとって最善の道なのだ」
「私の教えは、この幻想の世界の実在性を固く信じ、その世界の快楽を追い求めるがゆえに知性を不能にされてしまった人のためにあるのではない。
見ることを拒む人に、色鮮やかな森を見せようと努力する愚か者がいるだろうか? ハンセン病で鼻を失った人に、さまざまな香りの違いを識別する方法を教えようとする人がいるだろうか? 酔っ払いに、深遠な形而上学を教える人がいるだろうか? 村の出来事について、火葬場に横たわる死体に尋ねる人がいるだろうか? もしそんな愚か者がいたとしても、彼を思いとどまらせる人がいるだろうか? 言葉を発することも知覚することもできない心を治められない無知な者を、誰が導けるというのか?」
「『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、多くの物語や解説を織り交ぜながら究極の教えを説いている。それは哲学者だけでなく、現代の心理学者や科学者にさえ驚嘆すべき発見を与えることだろう。現存する聖典の多くは、神が帰依者に向けて説いたものだが、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は神に向けて説かれた教えだ。それは賢者ヴァシシュタが、神であるラーマに授けた教えなのである。
世界創造に関する真の理解をもたらす『ヨーガ・ヴァーシュシュタ』の哲学は、カシミール・シヴァ派の教義に極めて近く、その教えの核心は、『すべては意識である』に尽きる。それはあなたが見る『あるがまま』の物質世界をも含んでいる。これが絶対真理である。世界は意識の戯れに他ならないのだ」 (スワミ・ムクターナンダの「序文」より)
(以上、本文より)
スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ Swami Venkatesananda 【英訳】
1921 年、南インドのタンジョールに生まれる。ボンベイやカルカッタで働いた後、リシケーシにてスワミ・シヴァーナンダの弟子となり、従者として17年間、師に奉仕する。
1961 年、グルの指示により、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、モーリシャス島に赴き講話と瞑想指導をする。
1982 年、南アフリカのヨハネスブルグにて逝去。
訳書に"The Song of God - Daily Readings From TheComplete Bhagavad Gita"、 "Enlightened Living - The Yoga Sutra of Patanjali"、"Vasistha's Yoga"。著書に"Insights and Inspirations"、"Christ, Krishna and You"、"Total Love"、"Multiple Reflections Talks on Yoga Vasistha"、"Lectures on Raja Yoga" 他がある。
福間巖 Iwao Hukuma 【邦訳】
1960年、萩市にて誕生。1974年より北鎌倉臨済宗円覚寺にて6年間参禅。
1979年、インド仏跡巡拝の折、ブッダガヤにてラマナ・マハルシの教えに出会う。
1981年、玉川学園大学英米文学部卒業。山梨県曹洞宗瑞岳院僧堂にて1年間参禅。
スリランカ、カンドゥーボーダ仏教僧院にて1年間瞑想を修す。
米国にてデザイン業、欧州にて瞑想指導および法話。長年インドの聖地に暮らし、J. クリシュナムルティ他多くの聖賢と出会う。
1992年、北インドにてプンジャジと出会い、5年間をともに過ごす。聖山アルナーチャラの麓に在住。
訳書に『ラマナ・マハルシとの対話』他多数。




7オンスの肉厚の生地に、アメリカンカレッジボディならではのザックリとした型が新鮮です。袖口.裾はダブルステッチ仕様、左袖にはおなじみのCマーク付。
S | M | L | |
着丈 | 65.0 | 72.5 | 76.0 |
身幅 | 50.5 | 54.5 | 60.0 |
袖丈 | 22.5 | 22.5 | 24.0 |
肩幅 | 47.5 | 53.0 | 56.0 |

はしがき
教行信証について
第一章教行信証とはどんな書物か
一 教行信証のなりたち
二 教行信証の性格
第二章教行信証の何か
一 往相回向と還相回向
二 真実の教とは何か
三 教行信証の順序
第三章行とは何か
第四章真実の信
一 三心
二 二河白道
三 横超断四流
第五章現生正定聚
第六章抑止門
第七章証について
第八章還相回向
一 還相回向とは何か
二 還相回向の活動とその根底
三 広略相入
四 一法句とは何か
五 善巧摂化
六 願作仏心即是度衆生心
七 巧方便回向
八 明楽勝真心
第九章真仏土について
一 真仏土
二 真仏土の本質
三 一切衆生悉有仏性と成仏
四 仏性を見るとは
第十章方便化身土巻
一 方便化身土の願
二 第十九願
三 顕彰隠密
四 第十九願の機
五 第二十願の機
六 第十八願の機
七 三願転入
八 末法
第十一章 化身土巻について
一 邪教批判
二 弁正論について
三 後序について
判型・ページ数 4-6・232ページ
明治42年鹿児島県に生まれる。龍谷大学文学部宗教学科卒業。昭和24年文学部教授。昭和39~44年龍谷大学学長。昭和56年勲三等瑞宝章を受ける。龍谷大学名誉教授。文学博士。平成13年5月逝去。 著書 『講解教行信証』(全4巻・補遺篇)、『浄土』、『浄土の哲学』、『宗教の本質』等。

仏教学の大家・安田理深の、「正信偈」だけでなく『教行信証』全体にも相通じる、初公開の名講義録。
≪第一巻≫
序文
第一章 序説
1、「正信偈」と「願生偈」
2、「正信偈」御制作の動機
3、偈頌と問答
4、諸仏の伝統と知恩報徳
第二章 総讃
1、帰命無量寿如来
第三章 弥陀章
2、法蔵菩薩因位時
3、本願名号正定業
第四章 釈迦章
4、如来所以興出世
5、摂取心光常照護
6、獲信見敬大慶喜
第五章 結誡
7、弥陀仏本願念仏
≪第二巻≫
第六章 依釈段 総讃
8、印度西天之論家
第七章 龍樹章
9、釈迦如来楞伽山
第八章 天親章
10、天親菩薩造論説
11、広由本願力回向
12、帰入功徳大宝海
≪第三巻≫
第九章 曇鸞章
13、本師曇鸞梁天子
14、天親菩薩論註解
15、惑染凡夫信心発
第十章 道綽章
16、道綽決聖道難証
17、三不三信誨慇懃
第十一章 善導章
18、善導独明仏正意
19、行者正受金剛心
≪第四巻≫
第十二章 源信章
20、源信広開一代教
21、専雑執心判浅深
22、極重悪人唯称仏
第十三章 源空章
23、本師源空明仏教
24、還来生死輪転家
第十四章 結勧
25、弘経大士宗師等
あとがき
判型・ページ数 A5・1171ページ
仏教哲学者、真宗大谷派僧侶。1900年、兵庫県生まれ。青年時代は禅やキリスト教などを学ぶが、金子大栄の著作に影響を受けて1924年大谷大学に入学。曽我量深に師事する。1935年頃より、京都で学仏道場「相応学舎」を主宰し、唯識論や親鸞思想などの講義を行った。生涯無位無官を貫き、在野にて自己の思索を深めるとともに、後進の指導にあたり多くの学生・僧侶らに影響を与えた。1982年逝去。


ウクライナの山奥で一人の職人が制作しており、現地修道院でも実際に使用されている蜜蝋キャンドルです。抗菌作用が高く、その暖かい光とともに、瞑想やヒーリングにも非常に有効で治癒を高めるキャンドルです。
燃焼時間 約12時間
直径55 x 高さ30mm


ウクライナの山奥で一人の職人が制作しており、現地修道院でも実際に使用されている蜜蝋キャンドルです。抗菌作用が高く、その暖かい光とともに、瞑想やヒーリングにも非常に有効で治癒を高めるキャンドルです。
燃焼時間 約15時間
直径34 x 高さ190mm


ウクライナの山奥で一人の職人が制作しており、現地修道院でも実際に使用されている、蜜蝋キャンドルです。抗菌作用が高く、その暖かい光とともに、瞑想やヒーリングにも非常に有効で治癒を高めるキャンドルです。
燃焼時間 約32時間
直径36 x 高さ290mm


ウクライナの山奥で一人の職人が制作しており、現地修道院でも実際に使用されている、蜜蝋キャンドルです。抗菌作用が高く、その暖かい光とともに、瞑想やヒーリングにも非常に有効で治癒を高めるキャンドルです。
燃焼時間 約100時間
直径68 x 高さ510mm

親鸞の他力の浄土教について論じた大拙の英文論文の邦訳。
自らの力で悟りを求める自力教としての禅。仏の慈悲にすがって、往生成仏を願う他力教としての浄土教。
両者は、異なる方法で成仏を実現する教えであった。
親鸞によって開顕された横超他力の浄土教は、凡夫が自らの分別を放擲して仏の慈悲心に直接し、法そのものに包まれて生きる道を開くことで、本来の仏道としての今現在のさとりを実現したと説く。
最晩年の弟子である訳者が大拙の真宗理解に基づき訳出する。収載論文の半数は初邦訳!
https://hozokan.tameshiyo.me/9784831887870 (試し読み)
序文(佐藤平顕明)
Ⅰ
禅と浄土――二種の仏教経験
一、信仰的仏教と思索的仏教
二、浄土門(他力)と聖道門(自力)
三、他力――阿弥陀仏による救済
四、自力――有限を超えて無限に
五、浄土の信の定型句としての念仏
六、思弁型の禅念仏
七、黙祷的タイプの念仏
八、本願への信の重要性
九、二元の世界を破る念仏
十、信仰タイプの禅タイプへの接近
真と禅――その対照
Ⅱ
真宗とは何か
一、自己とは何かという問い
二、ミリンダ王の問い
三、絶対的自己との出会い
四、親さまに出会った才市
五、機法一体を具現する念仏
無限な光
一、アミターブハ――無限な光の仏
二、光と娑婆と地獄
三、娑婆世界の「光明」
四、阿弥陀とその本願
五、本願と自己
名 号
一、阿弥陀仏が自分の名を広めようとした意味
二、阿弥陀仏の名を聞いて無生法忍をさとる
三、名号の力学
四、阿弥陀仏の心と完全に一体化する信者の心
五、私たちと共にある阿弥陀仏
Ⅲ
妙好人才市の研究
一、才市の宗教詩と内省的自己批判
二、「罪」意識の起源
三、才市の罪の概念
四、罪、個別的と集合的
五、才市と和解
妙好人
一、妙好人、浅原才市
二、才市の歌にみられる霊性的問いと答え
三、絶対的肯定と究極的実在の発見
Ⅳ
英訳『教行信証』への序(未完)
一、阿弥陀仏と極楽浄土の建立
二、法蔵の菩薩性と本願の意味
三、阿弥陀仏の大慈悲による往還の円環運動
四、有限から無限に超える横超
五、阿弥陀仏と一体の凡夫の発見
六、本源的力から生じる阿弥陀仏の願
七、法蔵菩薩の四十八願
八、他力――絶対的受動性の真実
九、限りない無礙の光明としての浄土
あとがき
判型・ページ数 4-6・296ページ
1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

才市を中心に、偶像化されてきた妙好人たちの他力実践者としての真実の姿を明らかにする。
序
一 妙好人
二 妙好人と日本的霊性的なるもの
三 念佛生活の一ヶ月
四 才市の信仰内容
五 信仰に入るまで
六 信仰の健全性と中庸性-衆生済度
七 才市の内生活と南無阿弥陀仏
八 浄土と娑婆
九 親と子-花婿と花嫁
十 南無阿弥陀仏の本体
十一 くくり
付録
判型・ページ数 4-6・294ページ
1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

原文に口語訳を付しつつ難解な仏典引用を解き明かし、親鸞の思想を丁寧に読み解く名著。
約50年振りに新装版として復刊。
序
一 総説
二 身心柔軟
三 涅槃の智慧
四 苦悩と安楽
五 師弟と善友
六 勝れた功徳
七 説聴の方軌
八 大悲の受施
九 法王の臣民
一〇 身心の教養
一一 さわりなき道
一二 菩提心
一三 大悲の行人
一四 釈迦と弥陀
一五 仏法あいがたし
一六 摂取と証誠
一七 護念の光
一八 宿業への光
一九 妙好人(上)
二〇 妙好人(下)
二一 弥勒の位
二二 無辺の同朋
二三 分限の生活
二四 涅槃の期待
二五 仏教の真宗
二六 真実と方便
二七 仏法と外教
二八 愚禿の悲歎
判型・ページ数 4-6・251ページ
1881年新潟県高田に生まれる。真宗大学卒業。1911年浩々洞の雑誌『精神界』の編集担当。東洋大学教授、真宗大谷大学教授、広島文理科大学講師、1951年大谷大学名誉教授に就任。1976年10月20日逝去。主著 『金子大榮著作集』(春秋社)、『金子大榮選集』(コマ文庫)。

唯識思想では、菩薩が仏になる道筋を、虚妄分別の止滅から意言分別の智慧の獲得として明らかにし、さらに、仏の正覚の智慧を、無分別智と無分別後得智に分けて明らかにすることで、自利利他を完成した仏の智慧の根本を明らかにしている。
唯識思想が説く仏の智慧を基本として、浄土教で説かれる法蔵菩薩と阿弥陀仏の根源的意味を明らかにすることで、往相回向・還相回向が説かれる意義を明確にする。
序文
第一章 「虚妄分別」と「意言分別」とは
一、ラトナーカラシャーンティの唯識説――虚妄分別の成立
二、虚妄分別(煩悩)と菩提について
三、虚妄分別とは何か
四、虚妄分別(迷い)から意言分別(智慧)へ
五、ラトナーカラシャーンティの、梵文『般若波羅蜜多論』の「菩薩の修道論」
六、「意言分別」も、「虚妄分別」のアーラヤ識の如く、種子を有する
七、「意言分別」とは何か
八、意言分別とはどのような分別であるか
九、意言分別と解脱(唯識の真観)
十、「虚妄分別」より「意言分別」へ、さらに「無分別智(唯識の真観)」へ――「蛇・藤蔓・四塵の譬」によって解説する
十一、「無分別智」の成立
十二、梵文『入無分別陀羅尼経』を引用して、「無分別智・無分別後得世間智」を解説する
十三、釈尊の「金剛座」での沈黙と、その後の伝道、説法の開始
十四、無分別智の行者は「唖人の如く」、無分別後得智の行者は「非唖人の如し」
十五、「無分別智」は無分別であるのに、何故、「智」であるか
第二章 『無量寿経優波提舎願生偈註』(浄土論)
一、『浄土論』の修行者は法蔵菩薩である
二、「一法句者謂清浄句」とは
三、一法(法身、無分別智、清浄句)と一法句(受用身と変化身、後得清浄世間智)について
第三章 曽我先生の法蔵菩薩=阿摩羅識説に菩薩像を問う
一、阿摩羅識(amalavijnana)とは何か
二、阿摩羅識という言葉が消えて「幻師」という言葉が現れる
三、「幻師」という言葉は『摂大乗論』に引き継がれる
四、菩薩は因果の相を、幻師の如く了別する
五、菩薩は無分別後得智・幻術師・受用身(仏身)である
第四章 唯識より浄土教の菩薩像を問う
一、「往相廻向」「還相廻向」について改めて問う
二、金剛法座の釈尊に「往相、還相」論は可能であるか
三、『浄土論註』の還相廻向に対する小川説批判
四、菩薩はすでに受用身(仏身)である
五、「巧方便廻向」について小川説を批判する――菩薩は衆生に先がけてすでに成仏している
六、「善巧摂化」と十波羅蜜
七、十波羅蜜とは何であるか
八、『大乗荘厳論』等より、浄土教の菩薩像を問う
九、菩薩の「往相廻向」「還相廻向」について
結び
資料
跋文
判型・ページ数 4-6・138ページ
昭和11年、石川県白山市に生まれる。昭和34年、大谷大学文学部仏教学科卒業。昭和39年、名古屋大学大学院印度哲学専攻、博士課程単位取得。名古屋大学文学部助手、名城大学教授を歴任。 現在、名古屋大学名誉教授。文学博士(論文博、名古屋大学)。真宗大谷派嗣講。瑞宝章受章。
主な著書に、『インド後期唯識思想の研究』、『アビダルマ仏教とインド思想』(共著)、『「いのち」の意味』、『真宗の「命観」――私たち人間が仏となること』、『「人間の悪」に対する裁きと救い』、『悪人、善鸞は救われましたか?』、『文学者 三島由紀夫と仏教』、『世親の浄土論と瑜伽行唯識』、『浄土論の唯識思想』ほか。




ヒンズー教や仏教では、スワスティカは縁起が良く、神性や霊性の象徴とされています。ディワリの祝日には、ヒンドゥー教の家庭ではスワスティカを使った飾り付けが行われます。建物や機械の竣工式、新車の安全祈願などには、災いを避けるために卍が描かれていることが多い。
仏教では、スワスティカは仏陀の縁起の良い足跡の象徴とされています。仏像の胸、足、手のひらなどによく刻印されている。これはアジアの多くの地域で仏陀を象徴するシンボルであり、仏教の輪廻教義に見られる永遠の循環を象徴している。
S
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M
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5 x 5 cm
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7.5 x 7.5 cm | 11 x 11 cm |


インド中央部を流れる聖河ナルマダ川は、神話では瞑想するシヴァ神から流れ出た汗が川となったと言われ、あの聖なるガンジス川ですら黒牛に姿を変えて沐浴に来るとされる。その聖河ナルマダ流域の小さな村で産出される「ババグーリ」と呼ばれるインド瑪瑙です。このババグーリは聖者のビーズ(石)として現地では扱われ、日本国内ではデザイナーであるヨーガン・レール(1944-2014)が収集していたことでも知られいます。その自然が作り出した完全性漂うタイムレスな美しさは、瞑想的であり心の静止を齎します。
3.5 x 2.5 cm


インド中央部を流れる聖河ナルマダ川は、神話では瞑想するシヴァ神から流れ出た汗が川となったと言われ、あの聖なるガンジス川ですら黒牛に姿を変えて沐浴に来るとされる。その聖河ナルマダ流域の小さな村で産出される「ババグーリ」と呼ばれるインド瑪瑙です。このババグーリは聖者のビーズ(石)として現地では扱われ、日本国内ではデザイナーであるヨーガン・レール(1944-2014)が収集していたことでも知られいます。その自然が作り出した完全性漂うタイムレスな美しさは、瞑想的であり心の静止を齎します。
4 x 3 cm


インド中央部を流れる聖河ナルマダ川は、神話では瞑想するシヴァ神から流れ出た汗が川となったと言われ、あの聖なるガンジス川ですら黒牛に姿を変えて沐浴に来るとされる。その聖河ナルマダ流域の小さな村で産出される「ババグーリ」と呼ばれるインド瑪瑙です。このババグーリは聖者のビーズ(石)として現地では扱われ、日本国内ではデザイナーであるヨーガン・レール(1944-2014)が収集していたことでも知られいます。その自然が作り出した完全性漂うタイムレスな美しさは、瞑想的であり心の静止を齎します。
4.5 x 3.5 cm


インド中央部を流れる聖河ナルマダ川は、神話では瞑想するシヴァ神から流れ出た汗が川となったと言われ、あの聖なるガンジス川ですら黒牛に姿を変えて沐浴に来るとされる。その聖河ナルマダ流域の小さな村で産出される「ババグーリ」と呼ばれるインド瑪瑙です。このババグーリは聖者のビーズ(石)として現地では扱われ、日本国内ではデザイナーであるヨーガン・レール(1944-2014)が収集していたことでも知られいます。その自然が作り出した完全性漂うタイムレスな美しさは、瞑想的であり心の静止を齎します。
6 x 4 x 3 cm, 88 grams


インド中央部を流れる聖河ナルマダ川は、神話では瞑想するシヴァ神から流れ出た汗が川となったと言われ、あの聖なるガンジス川ですら黒牛に姿を変えて沐浴に来るとされる。その聖河ナルマダ流域の小さな村で産出される「ババグーリ」と呼ばれるインド瑪瑙です。このババグーリは聖者のビーズ(石)として現地では扱われ、日本国内ではデザイナーであるヨーガン・レール(1944-2014)が収集していたことでも知られいます。その自然が作り出した完全性漂うタイムレスな美しさは、瞑想的であり心の静止を齎します。
7 x 5 x 4.5cm, 182 grams

インド中央部を流れる聖河ナルマダ川は、神話では瞑想するシヴァ神から流れ出た汗が川となったと言われ、あの聖なるガンジス川ですら黒牛に姿を変えて沐浴に来るとされる。その聖河ナルマダ流域の小さな村で産出される「ババグーリ」と呼ばれるインド瑪瑙です。このババグーリは聖者のビーズ(石)として現地では扱われ、日本国内ではデザイナーであるヨーガン・レール(1944-2014)が収集していたことでも知られいます。その自然が作り出した完全性漂うタイムレスな美しさは、瞑想的であり心の静止を齎します。
4 x 2 cm