MUSIC
4935 products
日本語ライナーノーツ付き。今もジャズ・ファンから愛される数多くのスタンダード・ナンバーを世に送りだし、その独創的なスタイルで注目を集め人々の心を鷲掴みにした鬼才ピアニスト、セロニアス・モンク。そんな彼がキャリア絶頂期の1963年に行なったコペンハーゲンで のコンサートの模様を収めた幻のライヴ音源。
1963年3月5日に行なった、デンマークの首都コペンハーゲンにあるオッド・フェ ロー・パレウでの公演は、欧州ツアーの一環だった。メンバーは前年に<コロンビア>から発表されブレイクのきっかけになったLP『モンクス・ドリーム』と同じで、モンクに加えフランキー・ダンロップ(ドラ ム)、ジョン・オーレ(ダブル・ベース)、チャーリー・ラウズ(テナー・サックス)から成るカルテット編成。
今作の元の音源はスコットランドの放送用テープで、デンマーク人プロデューサーが20年程前に文字通りゴミ箱から拾い上げたものを<Gearbox Records>が購入した宝物コレクションの一部である。そのテープからアナログ録音、アナログ・ミックス、そしてアナログ・マスターを施し完成させた、まさに特殊なオール・アナログ・レコーディングでの制作。これまでの中でも指折りと思われるモンクの奏法をレコードにするならこの方法しかないと感じたレーベルの意向で、その過程にデジタルを取り入れることはしなかった。そのおかげで蘇ったコペンハーゲンでのあの夜は、今後も語り継がれていくこと間違いないだろう。
ロンドンで生まれ育ち、アフリカ・ナイジェリア系ヨルバ族の血を引くオルタナティブ・ジャズ・アーティスト、muva of Earthがジャイルス・ピーターソン主催のレーベル<Brownswood Recordings>から待望のデビュー・アルバムをリリース!
スピリチュアルなマントラと気高いリリシズムを織り交ぜ、アフロ・フューチャリズム、ジャズ、クラシックなどをブレンドした彼女の音楽は、まさに変幻自在。muva本人が奏でるハープや、繊細にきらめくチャイム、そして遊び心あふれるピアノが美しい先行シングル「heaven hear me above」を筆頭に全8曲からなる本作は、脆弱性や癒し、前進的な考え方を中心とした瞑想的なプロジェクトであり、muvaはエンパワーメントと自己表現を呼びかけている。
この先行シングル「heaven hear me above」について、muvaはこう語っている:
「この曲は、自分らしさを誇りに思うことの意味について。また、天に理解を求める声明でもある。過去にあなたを傷つけたかもしれないけど、そんなつもりはなかった。私の意図は純粋であり、今も学びの途中であることを分かってほしい。愛を込めて。」
Erik Satie, Debussyなどの西洋音楽のエッセンスとエチオピア教会音楽の悠久の歴史が物語る神聖美が邂逅し、アフリカの約束の大地の上にて魂の脈打つ鼓動と瞑想の響きが混ざり合った孤高の音楽であり、女性版Dollar Brandとも言える感動的なモダン・クラシカル。ピアノのみの純粋な音楽性とレトロな音質がたまりません。スピリチュアルな音源がお好きな方は当然マストですが、幅広い音楽ファンへとお薦めしたい果てなき霊性漂うマスターピース。
南アフリカのジャズシーンを切り取ったコンピレーション作品、『Indaba is』への参加で注目を集めたピアニスト/ソングライター/プロデューサーのBokani Dyerが最新作『Radio Sechaba』をトレンド・セッターGilles Peterson率いる〈Brownswood〉より発売!
本作は自身が影響を受けたものをすべて1つのものにまとめたアルバムで、曲ごとに異なるタイプの音や音楽、異なるアプローチで取り組んだと本人は語る。
アルバム制作時にインスピレーションを遮断することはなく、アフリカの音楽、アメリカの音楽など全ての音楽からの影響を昇華し、”ジャズ"を更新する作品を完成させた。トロンボーン奏者/歌手のSiya MakuzeniやピアニストのNduduzo Makhathiniに続く南アフリカからの新たな才能として見逃せない一枚!
『Rain Before Seven...』には楽観主義が息づいています。それは自慢げで自信過剰なものではなく、イギリスの国民性を表した軽薄で自虐的な楽観主義です。彼らはたとえあらゆる予兆が無かったとしても物事はうまくいくという確信のもとに動いているのです。
タイトルは韻を踏んだ予言とも言える古い天気予報のことわざに由来しています。ー11時前には晴れるー それは科学とは関係なくハッピーエンドを意味する言葉。アーサー・ジェフス曰く「それまで聞いたことが無かったけどある本でその言葉を見つけたんだ。かすかに楽観的なニュアンスがあってとても好きな言葉だよ。最近は使われなくなったけど大西洋から入ってくるイギリスの気象パターンを表現しているんだ。」
モリコーネを意識したオープニング"Welcome to London”から始まり"Goldfinch Yodel"まで映画を見ているような余韻に浸れます。そして常にエキゾチックなリズムの高揚感を感じながらもそこには悲壮感が漂っているのです。2011年の省略記号で締めくくられたアルバムタイトル「A Matter of Life...」にちなんだタイトル名には遊び心を感じます。そのペンギン・カフェとしてのデビューは父であるサイモン・ジェフスが率いた伝説のペンギン・カフェ・オーケストラとアーサーが率いる愛すべき子孫との架け橋となっているのです。
「スタイル的には遊び心のあるリズムや楽器使いに戻ることができてとても満足している」と語る若きジェフスは12年前のデビュー作を念頭に置いて新作を制作しました。「当初あったテクスチャーを今は使わなくなっていることに気付いたんだ。それらの要素は父の初期の作品に沢山あったんです。だからウクレレ、クアトロ、メロディカなどの音楽的にも地理的にもまったく異なる地域のテクスチャーやバラフォンが多く入っているんだ。」
『Rain Before Seven...』を聴けばそのテーマが単なる天気予報では無いことが分かるだろう。ある意味この作品は危険が去って行くのを橋の下で待ちながら書き留めた音楽の日記と言えるでしょう。彼は私たちと同じように2020年に自分が監禁されていることに気づきました。COVID-19の最中、最初のヨーロッパの目的地はイタリア。彼と家族は当時トスカーナの修道院を改造した建物に滞在していました。この修道院は彼の母親で有名な石像彫刻家であるエミリー・ヤングと12年ほど前に購入した建物です。オリーブの木に囲まれた丘陵地に検疫で足止めを食らうには最高の場所でしたが、一家は世界の多くの人々と同じように切実な不安と不確実性に直面していたのです。
そのため今作にはこの時期の個人的な体験に関する楽曲が多く収録されています。”Galahad"は16歳で亡くなったアーサーの愛犬を讃えた楽曲で15/8拍子で書かれています。”Lamborghini 754"は彼が母親のために買った40年前のトラクターがスタジオからオリーブ畑を横断しているのが見えたことから名付けられました。自身で操縦出来る広大なスペースがあったことは、都市や町に住む何百万人もの人々が経験することの出来ない贅沢であり幸運でした。さらに都会で暮らす人々の苦悩は、アーサーの父親が描いたペンギン・カフェ・オーケストラが誕生するきっかけとなったビジョンと不気味に重なり合ったのです。
1972年父であるサイモン・ジェフズは南フランスで休暇を過ごしているときに不味い魚を食べた事が原因で幻覚を見るようになりました。 「ベッドに横たわると奇妙な幻覚が繰り返された」と彼は後に語っています。「目の前にはホテルか公団住宅のようなコンクリートの建物があり、それぞれの部屋は遠隔で絶えずチェックされていた。部屋には人が居るけどみんなが"うわのそら"なんだ……」「しかも全くの沈黙だった。まるでその場にいる全員が無力化され色も無く匿名にされたように。その光景は私にとって秩序ある荒廃を想像させた」こんな未来の予感を払拭してくれたのが"無意識になれる場所"自由気ままなペンギン・カフェだったのです。
アーサーによれば父であるサイモン・ジェフズのイメージは"少し風変わりな古美術的アプローチ"で音楽を組み立てて耳に優しい音を再構築する人”でした。これは戦後の文筆家たちによる真剣な反応があったミニマリズムの台頭と同時期だったのかもしれません。「しかし父はブーレーズもジョン・ケージも大好きでした」とアーサーは付け加えます。クラシック音楽がポップスや東アフリカのリズムと融合することはインターネット時代(そしてPCOが決して嫌がらなかった広告においても)にはそれほど特別な事ではありませんが、1970年代の当時彼らはブライアン・イーノのレーベルObscureに所属して自分達がやっていることの難解さを実感していたのです。ペンギン・カフェ・オーケストラは長い間ルシェルシュ(フランス語で精選された物の意味)のままではいられなかったのです。
「父の斬新なアプローチは面白くて奇妙なアイデアを取り入れて奇妙なことをすることだったと思います。しかし常に美しく感情移入できるサウンドにすることを意識していました」とアーサーは語ります。その精神はペンギン・カフェにも受け継がれています。「父の音楽を演奏する一方で、同じ世界で新しい音楽を演奏するのです。つまり原点に立ち返りスラッシュ・メタルの領域に踏み込まないように気を配るのが私の役目です」
しかし、共同プロデューサーのRobert Rathsに後押しされ『Rain Before Seven…』のリズム要素はかつてないほど前面に押し出され、エレクトロニカを彷彿とさせる楽曲もあります。例えば"Find Your Feet”は単純にパルス音だけで構築された楽曲ではありません。Tom Chichester-Clarkがミックスしたこの曲は、アーサーが「エレクトロニックに近い感覚」と表現するように彼らの音楽に新たな融合をもたらしています。そして彼は興奮気味にこう付け加えます、「過去3枚のレコードではあまりやらなかったような楽しい要素がここにあるんだ。」アンビエントのゴッドファーザーであるハロルド・バッドに捧げた"In Re Budd”はこの曲を書いた日に彼が亡くなっていたことに気づき、シンコペーションが巧妙なアレンジを加える事で追悼したのです。アップライトピアノで演奏し音の跳ねを強調するために”プリペアド"フェルトを使用しました。アフロ・キューバン・カフェのような雰囲気があるこの楽曲はバッドの異質さをアピール出来たと彼は感じています。
そして"Welcome to London"は世界が再び動き始め人々が飛行機に乗れるようになった事からその名が付きました。久しぶりに故郷に降り立った彼はヒースロー空港からタクシーで西ロンドンに向かい、控えめな薄明かりの背景をバックに007の映画を想起させる雰囲気に心を打たれたのです。楽観主義がそこにあり少し辛辣な皮肉もあるのかもしれません。「ロバート・ラス(Erased Tapesのオーナー)は今作に興味深いニュアンスを加えてくれました。多くのロンドン市民はもともとロンドン出身ではないのです。ロンドンにはよそ者としてやって来て、まだ自分の仲間を見つけられないうちに強盗に襲われる…そうなると"Welcome to London"はより皮肉な響きを帯びてくるんだ。」
現代のピアノによってのみ到達し得るバッハ演奏の美―それを体現する近藤伸子が晩年の最高傑作《フーガの技法》を録音。声部の動きを明晰に多層化する研ぎ澄まされた知性と身体が、対位法の極北に位置する音楽的実存に迫る。冒頭の一音から、突如として訪れる最後の静寂まで、透徹した意思と静けさに満ちた緊張が持続する珠玉の演奏。
「フーガの技法」はバッハ最晩年の傑作である.楽器の指定がなく,器楽合奏曲として捉える説もあるが,鍵盤作品と見る説が優勢である.対位法の様々な技法を体系的に示そうと意図して作曲された野心的な試みで,その構成および曲の配列には歴史的諸説ある.鍵盤楽器のソロでは,18曲演奏する形が一般的である.1740年代前半から書かれ,いずれも共通する主題に基づくフーガ形式で,これはその第1曲でもっとも単純な4声のフーガである.
この曲集に含まれるフーガの多くは,J. S. Bachの鍵盤作品中,「音楽の捧げもの」の6声のリチェルカーレと並び,極めて演奏難度の高いものである.この演奏困難さと配列の不確定性などから,「ゴルトベルク変奏曲」「平均律クラヴィーア集」などと比べると耳にする機会が少ない.また,これを「学問的」な作品と見なす向きもあるが,実際の音として聴かれ,演奏されてこそ,この作品は生きてくると私は考える.(Youtube説明欄より)
J.S.バッハ: フーガの技法 BWV 1080
[1] コントラプンクトゥスI
[2] コントラプンクトゥスII
[3] コントラプンクトゥスIII
[4] コントラプンクトゥスIV
[5] コントラプンクトゥスV
[6] コントラプンクトゥスVI フランス様式による4声
[7] コントラプンクトゥスVII 拡大と縮小による4声
[8] コントラプンクトゥスVIII 3声
[9] コントラプンクトゥスIX 12度の転回対位法による4声
[10] コントラプンクトゥスX 10度の転回対位法による4声
[11] コントラプンクトゥスXI 4声
[1] コントラプンクトゥスXII 4声 基本形
[2] コントラプンクトゥスXII 4声 転回形
[3] コントラプンクトゥス XIII 3声 基本形
[4] コントラプンクトゥス XIII 3声 転回形
[5] 8度のカノン
[6] 3度の転回対位法による10度のカノン
[7] 5度の転回対位法による12度のカノン
[8] 反行形による拡大カノン
[9] 3つの主題によるフーガ(未完)
録音:彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール 2019年5月30-31日
近藤伸子
東京藝術大学器楽科大学院博士課程修了。シュトックハウゼンのピアノ曲に関する論文と演奏で博士号取得。文化放送音楽賞受賞。1986〜88年ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてベルリン芸術大学へ留学、最優秀の成績で卒業。A. シュナーベルコンクールで1位なしの第2位、受賞コンサートでの演奏は「ターゲス・シュピーゲル」紙で絶賛される。ブゾーニ国際コンクール入賞。1990年ウィリアム・カペル国際ピアノコンクールでナンシー・ミラー記念賞を受賞。ベルリン交響楽団、シンフォニーオーケストラ・ベルリン、ハイドン・オーケストラ(イタリア)、東京交響楽団、東京藝大オーケストラ他多数のオーケストラと共演。 現代曲や新作初演にも意欲的に取り組み、「サントリー芸術財団サマーフェスティバル」「東京の夏音楽祭」他に出演。1993年にはリサイタルシリーズ「20世紀のピアノ曲」を開始。また、 近年はJ. S. バッハの作品も集中的に取りあげ、 特に2000年および2005年の「平均律クラヴィーア曲集第I・II巻」全曲によるリサイタルは高い評価を得た。またCD「J.S.バッハ トッカータ 全曲」「新ウィーン楽派 ピアノ作品集」「近藤伸子 プレイズ J.S.バッハ」(『レコード芸術』特選盤)をリリース、好評を博している。2014年、第69回文化庁芸術祭優秀賞受賞。2017年4月より1年間、国立音楽大学長期国外研修員としてベルリンに滞在、ベートーヴェンのピアノ作品を中心に研究を行なう。現在、国立音楽大学教授。
鍵盤から広がる豊潤な心象風景が、美しい旋律と深い余韻で描かれる全13曲を収録。今まさに音楽家としての円熟期を迎えたカルロス・アギーレのキャリアを語る上でも欠かせない重要作!
カルロス・アギーレ・グルーポ名義での3枚の名作『クレーマ』(00年)、『ロホ』(04年)、『ヴィオレータ』(08年)、ソロ名義の『オリジャニア』(12年)、『ラ・ムシカ・デル・アグア〜水の音楽』(18年)、トリオ名義の『カルマ』(17年)、さらに5人編成のギター・キンテートでの『バ・シエンド・ティエンポ』(22年)まで、アルバムごとに新たな境地を切り拓き、音楽家として円熟期を迎えているカルロス・アギーレ。そんな彼が、作曲を始めた17歳の時からずっと作りたいと願い続けてきた、子供の頃から親しんできた楽器であるピアノの独奏によるアルバムが、2006年に発表されたこの『カミーノス』です。
収められているのは、生命の躍動、雄大な自然の風景、子供の頃の記憶などを投影した名曲の数々。2011年の初来日ツアーで必ず1曲目に演奏していた(つまり、カルロスが日本で最初に演奏した)曲として多くの人々の記憶に残る「Pampa」①で幕を開け、静寂に包まれた「Um pueblo de paso」②では素朴なメロディーが郷愁を誘い、「Romanza」③は生命力に溢れたタッチとロマンティックなフレージングが胸を打ちます。モダンなハーモニーとフォルクローレのリズムの融合をピアノで表現した、カルロスならではの佳曲が並ぶ中盤を経て、素朴で感動的な小品「Mai」⑨、アルゼンチンのサンバ(Zamba)の名曲をアギーレ流に解釈した「Zamba para no morir」⑪、そして来日公演での圧倒的な演奏が大きな喝采を浴びた「Milonga gris」⑫は、数多くのアーティストにカヴァーされる名曲。そしてアルバムは、雄大なパラナー河の水面に映る夕焼けの揺らめきのような、心安らぐ子守唄「Canción de cuna costera」⑬で、まるで映画のエンドロールのように感動の余韻を残します。
世界的チェロ奏者:ヴァンサン・セガールとのデュオによる1stアルバム『Lift』で鮮烈なデビューを飾ったパリの若き日本人ピアニスト/作曲家:中野公揮が、4年ぶりとなる2ndアルバムを完成。前作同様、ゴンザレス『Solo Piano』(’05) やアラ・ニ『ユー&アイ ~四季の歌』(’16) など、一貫した美意識で絶大な支持を得るフランスのレーベル<NO FORMAT!>からのリリースとなる。『Pre-Choreographed(振り付けされる前の)』と題された本作は、音楽とダンスが社会的にとても近い状態にあった時代へのサウダーヂを込め、2020年の中野公揮のスタイルで、より自由にこれら2つのアートの融合を試みたという作品。人の肉体のしなやかさや優美さ、躍動感などを見事に感じさせるコンポジション、そして、ソロ・ピアノを基調としながらもエレクトロニカのような ”ノイズ”が不意に空間を揺さぶるなど、端正なだけに留まらない刺激を孕んだ音世界は、聴く者のイマジネーションを掻き立ててやまない。ダミアン・ジャレなど、中野が影響を受けたダンサー・振付家とのコラボレーションによる素晴らしいビデオクリップの数々も必見だ。
現代音楽シーンで注目を浴び、David SylvianやSylvain Cheauveauともコラボレーションを果たす気鋭のピアニストがFLAUよりニューアルバムをリリース。
夢想から生まれ、夢想のために設計された叙情的ピアノ組曲。
フランスのピアニスト、作曲家メレーヌ・ダリベールの新しいピアノ組曲 Magic Square の中心は「動き」。この場合、動き=移動とは必ずしも物理的なものではありません。実際、ここ数年の世界の歴史を振り返ると、多くの人にとって移動と旅行は遠い夢のようなものでした。窓から屋根や電線を眺め、遠くに見える雲に覆われた青空を眺めながら漂う想像力。私たちが現実に目を向けず、手の届かないものへの憧れを抱いているとき、この音楽は夢想から生まれ、夢想のために作られました。
5分間に渡ってゆったりとした和音がペーソスを豊かに響かせる「Choral」の大胆な優しさから、「Prélude」のシンプルでうねるようなモチーフまで、Magic Square には穏やかで心地よい音楽がちりばめられています。しかし、躍動感あふれる「Perpetuum Mobile」や、ポップな構成の「Five」など、キネティックな動きを伴う曲もあり、Magic Square の中で最もメロディックな「A Song」は、ノスタルジックな雰囲気に包まれてさえします。アルバムのタイトルそのものが、同名の数学的ゲームにちなんでおり、数学的概念を用いて音楽を創作してきたダリベールの出自が露わになります。例えば、7拍子の「Ritornello」は、落ち着かない子守唄のような響きです。
ダリベール自身が「ファンタジーの旅」と呼ぶように、「魔法の広場」の風景はメランコリーを帯びています。「More or Less」は、遠い未来への希望にしがみつき、その飾り気のない旋律の間の空間は、考えるための時間を提供してくれます。この組曲の最後を飾るタイトル曲は、あまりにも短い間、別世界への入り口であった窓を雨が流れ落ちるように、リスナーを現実の世界に連れ戻すのです。
Melaine Dalibertは現代音楽の作曲家として、オリジナルのピアノ作品の他、ジェラール・ペソン、ジュリアーノ・ダンジョリーニ、トム・ジョンソン、ピーター・ガーランドなど多くの作品の斬新な解釈で、注目を集めるフランスの作曲家/ピアニスト。レンヌでピアニストとしての教育を受けた後、パリ音楽院で現代作曲家の作品のレパートリーを多く学ぶ。幼い頃から実験音楽にも親しみ、数学的な概念を通して作曲する方法を見出したという。ハンガリー生まれのフランス人メディア・アーティスト Véra Molnarの作品に影響を受け、モートン・フェルドマンを思わせる引き伸ばされた時間の概念を含む独自のアルゴリズムによる作曲方法を開発し、フラクタル・シリーズという概念を取り入れたミニマルで内向的な作品を発表している。彼のピアノ曲はこれまでに7枚のCDに収録されている:2015年に自主制作された「Quatre pièces pour piano」、2017年にAnother Timbreから発売された「Ressac」。2018年からはErstwhile RecordsやGravity Waveを運営するYuko Zama主宰のelsewhereから立て続けに4作品をリリースし、その全てのアートワークをデヴィッド・シルヴィアンが手がけ、「Night Blossoms」ではサウンド面でも協働を果たしている。最新作はIci d’Ailleurs からリリースされた「Shimmering」。
その他、FLAUからリリースされたSylvain Chauveau「Life Without Machines」や、近年再評価の著しいJulius EastmanのEnsemble 0による録音、ギリシャ人作曲家Anastassis Philippakopoulosなどのアルバムにもピアニストとして参加。フランス国内外の多くのフェスティバル、美術館、現代アートセンターでの演奏も活発に行っている。
主にジャズの名盤を180gカラー盤で復刻しているレーベル「WAX TIME IN COLOR」から、グールドのゴルトベルク、55年録音盤が登場。クラシックのリリースはまったくもって稀有。
グールドのSONYデビュー盤となった本作は「ピアノによるバッハ」のあり方を根本から覆した衝撃の演奏。疾走感にあふれたタッチ、快感を伴うほどの対位法処理、独特な内声の歌いこみなどの特徴は、後の世に無視することの出来ない決定的な影響を与えました。
ジャンルを超えてあまねく知られるグールドの名盤。クラシック・ファンはもちろん、ジャズ・ファンにもおすすめの注目リリースです。
DIY精神に満ちた自主レーベルを運営しながらロンドン市内でレコード店も営む〈World of Echo〉4周年を記念して制作された、2枚組LPで500枚限定の20曲入りの贅沢なコンピレーションアルバム。午睡を誘うような”Blackwater - Overload”までの流れから、”Komare - Blanco y Verde”から始まる寝耳に水のような、点滅するヴォイスとノイズのコントラスト、終盤の”Tara Clerkin & Sunny Joe Paradisos - Castelfields”でまた幸福で長い気怠さが戻ってくる。始まりと終曲をPat Benjaminの鎮静作用のあるピアノ曲で纏めた、とりとめがないようで巧みな楽曲構成、そして繰り返し繰り返し聴きたくなるのは、中毒性のある微量の毒素が含まれているからなのかも。