MERCHANDISE
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法蔵館文庫創刊5周年記念、鈴木大拙 遺墨「玅」ステッカーをプレゼント中です(ご購入1冊につき1枚お渡ししております、在庫無くなり次第配布終了となります)
2月15日発売。“哲学書”としての『教行信証』――
浄土真宗宗祖・親鸞の主著である『教行信証』を、仏教学・真宗学のみならず、ヘーゲルやハイデッガーをはじめとする西洋哲学の知識を縦横無尽に駆使して初めて読み解いた意欲的試み。
強靱な思索によって親鸞思想を伝統宗学の世界から哲学思想の領域へと一挙に押し上げ、三木清や田邊元といった名だたる哲学者たちにも示唆を与えるなど、その後の宗教哲学研究に多大な影響を及ぼした当該分野の古典的名著。
解説=石田慶和・岩田文昭
【目次】
改訂版のために
序
第一章 『教行信証』への通路
第一節 『教行信証』における方便化身土巻の位置
第二節 方便化身土巻成立の由来
第三節 正像末の史観と三願転入との関係
第二章 三願転入の問題
第一節 三願に対する従来の解釈
第二節 その難点
第三章 第十九願の解明
第一節 臨終現前の願
第二節 顕彰隠密の義
第三節 三心釈の顕彰隠密
第四章 第二十願の解明
第一節 罪障の自覚
第二節 念仏申さんと思ひ立つ心
第三節 信不具足(第十八願への転入)
註・補註
解 説(石田慶和)
文庫版解説(岩田文昭)
※本書は2002年11月25日に法藏館より刊行された『新装版 教行信証の哲学』の文庫版です。
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2月15日発売。ヒンドゥー教は信仰と生活実践を一体化した宗教であり、ヒンドゥー教世界の原型は紀元前後に編纂された『マヌ法典』で整備された。本書では今日もインドの社会や人々の価値観に影響を与える『マヌ法典』を紹介する。
まえがき
第一章 『マヌ法典』の世界観――世界創造とヴァルナ体制
世界の創造
創造主ブラフマンの誕生 世界の創造 世界の生滅 四ユガ(完全から堕落へ) 世界創造とヴァルナ体制
ヴァルナ体制とその理念
四ヴァルナ 社会機能・天職・正業の固定 同一ヴァルナ婚 家長の道 ヴェーダ=ダルマの価値体系
ヴァルナ体制と統治
理念と実践との間のギャップ 二重構造世界と二頭支配 統治のための装置
第二章 『マヌ法典』の人生観
人生モデル(アーシュラマ)
二つの価値の対立 人生についての最初の論議 ダルマスートラにおける人生モデル 『マヌ法典』における人生モデル(1) 『マヌ法典』における人生モデル(2)
人生の成就
欲望と行為の肯定 人生の成就とは何か 滅亡・地獄・再生 行為の因果作用と善因善果悪因悪果 欲望の制御と正しい方向づけ
第三章 行動の準則
幼児期
学生・修業期(ブラフマチャーリン)
入門式(ウパナヤナ・第二の誕生) 学生の服装 ブラフマチャリヤ サンディヤーの儀式 乞食(ビクシャー) アーチャマナ ヴェーダ学習 師に仕える 師の妻に仕える 長上者に対する振る舞い 禁欲生活
家長期(グリハスタ)
家長の意義 配偶者の選択 結婚式の意義 家長の基本的な心構え 夫婦 妻の貞節 五大祭儀 ヴェーダの学習と教授 祖霊祭 祖霊祭の招待客 祖霊祭から排除される人間 祖霊祭の式次第 死・誕生の汚れ(アーシャウチャ) 食事マナー 禁止される飲食物 食物の受け取りを禁止される人間 肉食 不殺生 贈物の授受 その他の諸行動規則 生計
老後期
柱住(ヴァーナプラスタ) 遍歴(パリヴラージャカ) ヴェーダサンニヤーサ
第四章 罪の除去
罪
ブラーフマナの罪概念 罪の分類 罪の分類表
罪の除去
清めの仕組 罪の除去の宣示 罪の除去の摘要(1)――罪が公にされる場合 罪の除去の摘要(2)――罪が公にされない場合
ヴァルナの喪失儀式と喪失者の生活そして復帰
第五章 犯罪と刑罰
刑罰の創造
裁判と刑罰の宣告
罪の除去と刑罰
刑罰の摘要
一般則 刑罰摘要の実例
犯罪の監視
あとがき
参考文献
法蔵館文庫版での再刊にあたって
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大宇宙と小宇宙の対応の思想は、最高実在ブラフマンと個体の本質アートマンの一致の自覚へと深化される。生の根源を洞察する古代インドの叡知、神秘思想の本質を、初期ウパニシャッドをもとに解明した最良のインド思想入門。
法蔵館文庫版の刊行によせて
はしがき
プロローグ
第一章 古代インドの叡智
――ウパニシャッドが現代に伝えられるまで
1 ウプネカット
2 ショーペンハウアーからインド古典学へ
3 古ウパニシャッド
4 神秘思想
第二章 祭式から哲学へ
――ブラーフマナとウパニシャッド
1 大宇宙と小宇宙の対応
2 ウパーサナ(念相)
3 先科学的科学
4 主知主義への道
5 祭式の内面化
第三章 ブラフマンとアートマン
――最高実在と個体の本質
1 ブラフマン(梵)
2 プラーナ(気息)
3 アートマン
第四章 「有」の哲学
――ウッダーラカの学説
1 有と非有と高次の有
2 三要素による現象世界の構成
第五章 「非ず、非ず」のアートマン
――ヤージニャヴァルキヤの思想(1)
1 生命原理としての火
2 認識から成るアートマン
第六章 輪廻と解脱
――ヤージニャヴァルキヤの思想(2)
1 輪廻説とアートマン論
2 睡眠の考察
第七章 アートマンと外界
――『カウシータキ・ウパニシャッド』の教説
エピローグ
講談社学術文庫版あとがき
講談社学術文庫版解説 赤松明彦
引用文献索引
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近代と近代以前、東洋的伝統と西洋的伝統、宗教の歴史的変容などについての哲学的思索の土台の上で、広く深い視界から現代世界において仏教が抱える問題をやさしい言葉でわかりやすく語る。七〇歳代の西谷が語った講演の記録。
【目次】
仏教についておもうこと
教団の内と外
自己を世界に開く
仏教の近代化ということ
近代化とは何か
「個」からの出発
良心について
人間関係を支えるもの
自分を確かめること
解説 西谷先生と「大地の会」[藤元正樹]
解説 西谷啓治における哲学と仏教[氣多雅子]
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日本における浄土教の展開を、教理的観点から分析するとともに、社会一般の情勢とも関連づけて評価した恰好の概説書。
【目次】
はしがき
第一章 序説
浄土教の発祥/浄土経典/「浄土三部経」の内容/竜樹・世親の浄土思想/シナにおける初期浄土教/曇鸞/慧遠と智顗/道綽/善導/その後の浄土教
第二章 浄土教の移植と定着
聖徳太子と浄土教/仏像・繡帳/浄土経典の将来/祈りの信仰/信仰の純化/智光と浄土教/浄土信仰の展開/平安初頭の浄土信仰/円仁と常行堂/山の念仏/念仏の普及/良源の念仏/禅瑜の思想/知識階層の信仰
第三章 源信をめぐる浄土教
勧学会/二十五三昧会/源信/『往生要集』の内容/『往生要集』の念仏/『観心略要集』と『阿弥陀経略記』/源信の念仏の特色/源信が後に与えたもの/源信のあとをうけたひとたち/迎講と浄土願生/念仏の夾雑性
第四章 末法と浄土教
末法思想/阿弥陀像/地蔵/聖と沙弥/四天王寺と異相往生/『末法燈明記』の成立
第五章 院政期の諸宗浄土教
諸宗の念仏の受容/三論系 永観・珍海/真言系 実範・覚鑁・仏厳/天台系 良忍・真源・忍空
第六章 本覚思想と浄土教
源信の偽撰/『菩提要集』/『真如観』/『観心往生論』/『菩提集』/『真如観』の成立年代/『自行念仏問答』
第七章 法然・親鸞の浄土教
黒谷と法然/法然の著作と『選択集』/法然の二つの性格/法然の念仏/法然の後をうけたひとたち/邪義異端/幸西と一念義/一念の思想系譜/親鸞/親鸞の念仏思想
第八章 結語
解説 梯 信暁
索引
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『涅槃経』の成立過程や思想内容をわかりやすく解説した好著。日本の仏教にも多大なる影響を与えた『涅槃経』の真髄とは何か。
序
前篇 総説
第一章 序説
第二章 涅槃経の歴史的地位
第三章 涅槃部の経典
第四章 涅槃経の成立過程
第五章 仏の入滅と涅槃経
第六章 純陀と迦葉菩薩
第七章 涅槃経の要旨
第八章 涅槃経の伝訳
第九章 涅槃経の流伝
後篇 本文解説
第一集 仏寿の巻――寿命品・金剛身品・名字功徳品
集衆/鶴林/二施/純陀/純陀と文殊/三徳/常楽我浄/客医乳薬/迦葉菩薩/問偈/長寿の業/愛念呵責/変化身/護持正法/名字功徳
第二集 如来性の巻――如来性品・大衆所問品
如来性/四法/断肉/制戒/秘密蔵/大涅槃/一闡提/人の四依/正法の余八十年/涅槃経の義味/知法と持戒/法の四依/邪正/悉有仏性/護戒/四諦/四倒/悉有仏性/一帰依処/半字満字/鳥喩/月喩/断善根/微密の教/本有今無偈/三乗/法華経と涅槃経/純陀の供養/不入涅槃/有余義/一闡提の定義/少分の一切/文殊付嘱
第三集 五行の巻――現病品・聖行品・梵行品・嬰児行品
五行/病因/三種病人/有病行処五種人/五行と如来行/聖行/護持禁戒/観四聖諦/上智中智/二諦/盲人乳色を知らず/二種転法輪/五味相生の譬/血写/雪山求道/梵行七善四無量心/極愛一子地/仏は煩悩の因縁とならず/空平等地/四無礙/本有今無偈/世諦即第一義諦/常住法と証得/法滅時の諍論/闍王入信/天行品/嬰児行
第四集 十徳の巻――光明遍照高貴徳王菩薩品
十事功徳/微密の義/光明遍照/涅槃常住/一闡提と仏性/売身供養/六難値遇/一篋四蛇/如来不定/涅槃と大涅槃/八十種神/無勝世界/涅槃/心の本性/闡提発心/性空修空/非仏説
第五集 師子吼説の巻――師子吼菩薩品
催問/仏性とは何か/涅槃無因/仏性正因/拘尸那城涅槃/無相定/業と修行/仏性と修行/大信心/不退
第六集 迦葉説の巻――迦葉菩薩品
迦葉菩薩/善星比丘/二十一諍論/善見太子/不解我意/恒河七衆生/十想
第七集 破邪の巻――憍陳如品
憍陳如/唯仏是真/先尼梵志/十外道帰伏/阿難は何処/須跋陀/得益
大涅槃経序
涅槃経略科及び要項
涅槃経三本対照表
文庫版解説
仏典研究の歴史性――横超慧日『涅槃経』を再読する―― 下田正弘
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西洋的近代を超え、何ものにも縛られることなく無礙自在に生きる「絶対的自律」への道を考究し続けた稀代の哲人・久松真一。その哲学の核心を示す論考と自叙伝的エッセイ「学究生活の想い出」を収録。解説=星野元豊・水野友晴
無神論
人間の真実存
悟り―後近代的(Post-modern)人間像―
禅―近代文明における禅の意義―
東洋的無の性格
幽玄論―特に能における―
学究生活の想い出
〈解説〉無礙の生涯(星野元豊)
〈文庫版解説〉絶対的自律の実現(水野友晴)
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「縁起」とは何か。そして誰が説いたのか。仏教史を貫く根本思想の起源と展開を探究し、その本来の姿を明らかにする画期的論考。
まえがき
Ⅰ 「縁起」とは何か
第一章 縁起思想の歴史
第二章 縁について
第三章 「縁起」と「一即一切」―「即」について
第四章 縁起説の根原の無常・苦・無我
Ⅱ 「縁起」と「関係性」
第五章 関係性の思想―仏教における自己ないし自己の現実との関係
第六章 関係(縁)・関係性(縁起)・関係主義(縁起説)
—「縁」から「縁起」への二つの仮説
第七章 関係と認識―十二支縁起説について
Ⅲ 初期仏教の縁起説
第八章 初期仏教の縁起説
第九章 「これがあるとき、かれがある」
第十章 此縁性(イダッパチャヤター)
第十一章 縁起説の正しい理解
第十二章 縁已生と縁起
第十三章 パーリ律「大品」とサンスクリット『四衆経』との縁起説
第十四章 縁起思想史におけるサーリプッタとナーガールジュナ
初出一覧
解説 一色大悟
索 引
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一切衆生とは、仏性とは何か。はたして全ての人にほとけになれる本性が具わっているのか。仏教を本当に知るための最重要論考。
改版に当って
はじめに
Ⅰ
如来蔵と仏性
仏性の話
一切衆生悉有仏性
如来と如来蔵
Ⅱ
如来の出現
宝性論入門
Ⅲ
如来蔵思想と密教
Ⅳ
道元の仏性論
Ⅴ
悉有仏性・内なるホトケを求めて
釈尊の原像
生死はほとけの御いのち――道元に学ぶ生死観――
本証妙修ということ
初出一覧
文庫版解説 仏教思想における言説様相の差異について 下田正弘
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ウィトゲンシュタインは「哲学者」か、それとも「宗教者」か?ひとつの孤独な魂が、強靭な理性と「神との和解」のはざまで悩みぬく。
はじめに
文献略号一覧
凡 例
第一章 ウィトゲンシュタインの生涯
一 カトリック様式による埋葬
二 音楽と自殺
三 数学から哲学へ
四 ケンブリッジへ
五 第一次世界大戦の後
六 ふたたび哲学へ、ケンブリッジへ
七 ケンブリッジ大学での講義など
八 最後の日々
第二章 第一次世界大戦とトルストイとの出会い
一 戦場のウィトゲンシュタイン
二 福音書の男
三 『草稿一九一四―一九一六』
第三章 「語りえないもの」としての宗教
一 『論理哲学論考』と「語りえないもの」
二 論理実証主義とウィトゲンシュタイン
第四章 『秘密の日記』にみる『論理哲学論考』の基本的性格の成立
一 『秘密の日記』が書かれた時期とその内容
二 『草稿』にみられる「一九一六年六月一一日」という日付
三 ブルシーロフ攻勢
四 『論考』の基本的性格の決定
五 「語りうるもの」と「語りえないもの」の相補性
六 ふたたび『論考』六・五二二にかえって
七 自らを「示す」神――『論考』の「六・五二二」の解釈
第五章 『哲学宗教日記』にみる「宗教者」ウィトゲンシュタイン
一 「神との和解」
二 変転する魂の記録
三 人は新しい言語ゲームを学ぶ
四 神からの要求と告白
五 絶対的なものを目指す努力
六 光の輝きとともに
七 生の問いは「宗教的な問い」である
八 太陽を待つ
九 「そのあるがままに」
一〇 「神のみがほめたたえられるべし!」
第六章 ユダヤ人意識と同性愛をめぐって
一 ウィトゲンシュタインのユダヤ人意識
二 同性愛
第七章 ウィトゲンシュタインの宗教観
一 「絶対的価値」と「相対的価値」
二 「証拠」の拒否と、生活を「統制する」ものとしての宗教
三 制度としての宗教の批判
四 寛容の精神
終章 自分が「神に対して」語ることと「神について」他人に語ること
一 ウィトゲンシュタインの「矛盾」
二 「矛盾」を解く鍵
むすび
ウィトゲンシュタイン略年譜
宗教者としてのウィトゲンシュタインをさらに知るための読書案内
増補版へのあとがき
皇居での御進講をもとに寄稿。著者の仏教理解を簡潔に、しかも余すところなく述べた、定評ある名著。
序
第一講 大智
第二講 大悲
判型・ページ数 4-6・126ページ
1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。
差別は、誰かが作りあげたものではなく、「自分」の心が作り出している。
利害を現したあからさまな差別から、「かわいそうな人」といったやさしさや思い遣りに隠された意識されない差別まで、さまざまな差別の裏に隠れた自己中心的な罪悪性を明らかにする。さらに、自己中心性を克服する道を示して、あたたかい心で繋がった人間の連帯と、真の平等社会の実現を説いた講演録。
https://hozokan.tameshiyo.me/9784831879196(試し読み)
マイクロアグレッション等にご興味ある方にも推薦。
一 人間、この深重なるもの
一、病めるもの/二、意識より深い罪業性/三、いのちが抱える矛盾/四、自分は正しいという罪/五、宗教心が開く世界/他
二 真に私を支えるもの、生かすもの
一、まあまあという意識/二、人生に対する態度決定/三、まいらせ心わろし/四、見つめあうということ/五、自身の在り方を悲しむ心/他
三 願いによって開かれる平等社会
一、差別心に気づくことのない差別/二、差別意識を増幅するこだま/三、責任転嫁の生き方/四、ざわめきに生きる鈍感さ/五 差別するものの問題/他
資料「水平社宣言」「業報に喘ぐ」
あとがき……蒲地義秀(真宗大谷派普賢寺住職)
判型・ページ数 A5・116ページ
1931年、京都市に生まれる。大谷大学文学部卒業。大谷専修学院講師、教学研究所所員、真宗教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。九州大谷短期大学名誉教授。2008年11月21日逝去。主な著書は、『宮城顗選集』全17巻、『正信念仏偈講義』全5巻、『“このことひとつ”という歩み―唯信鈔に聞く―』『後生の一大事』『念仏が開く世界』『真宗門徒の生活に自信を持とう』『僧にあらず、俗にあらず』(法藏館)など。
日本を代表する僧侶である親鸞は、なぜ自らを「非僧非俗(僧侶でもなく、俗人でもない)」と宣言したのか。有名なその言葉に導かれ、あらゆる縛りから解放されて、ありのままに生きるとはどういうことかを説いた名講話。
https://hozokan.tameshiyo.me/9784831879202(試し読み)
非僧非俗の精神
俗世間を生きることの意味/国が求める僧としての型/非僧非俗は「人間とは何ぞや」という問いかけ/外道とは自分の外なるものに寄りかかる道/生き方に迷う意味/退屈の裏に感動を求めている/求めていればこそ、空しい/私をうながし続けていたものに出遇う/本当に生きたことがあるか/事実を受けとめる勇気/わかったという立場が破られる/どうかその道意に目覚めてほしい
ねんごろの心――『御消息』に学ぶ――
言葉の響きを聞く/言葉は声である/「往生」とはただ亡くなったことだけをいうのか/生き方に迷うことは、人間に与えられた能力/「往生」は名詞でなく動詞である/「ねんごろ」とはいのちを共にしているということ/つながりをいのちとして生きている/いのちの願いによってあなたは生れ出た/この私を私として愛する/いのちの叫びを聞き取る/さあ、いのちの事実に帰ろう
あとがき……松林 了(真宗大谷派西岸寺前住職)
判型・ページ数 A5・142ページ
1931年、京都市に生まれる。大谷大学文学部卒業。大谷専修学院講師、教学研究所所員、真宗教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。九州大谷短期大学名誉教授。2008年11月21日逝去。主な著書は、『宮城顗選集』全17巻、『正信念仏偈講義』全5巻、『“このことひとつ”という歩み―唯信鈔に聞く―』『後生の一大事』『念仏が開く世界』『真宗門徒の生活に自信を持とう』『僧にあらず、俗にあらず』(法藏館)など。
金子先生の生前最後の講話で語られる他力念仏の教えは、人類の救いを根源的に明らかにする永遠不滅の教えである。『歎異抄』の真髄を簡潔な言葉で語りかける入門書の決定版。
師訓篇
第一講 人生観の基本的な意義
歎異抄は日本の聖典
歎異抄の構成
人生観と生死観
人生観と人間観
往生極楽の道とは
人と人との間柄
愛憎の悲しみ
すべての人の救われる場
浄土は個人的ではない
生と死の恐れ
人生における念仏の意味
第二講 仏教の世間化か世間の仏教化か
死と生きがい
人生と摂取不捨
罪悪観
利他の心
大乗教のめざすもの
時代は仏教の要求に応ぜよ
慈悲とヒューマニズムと平和の問題
世間の仏教化と浄土
追善追福をしない
教育の心
時代とともに救われる道
第三講 人生を生きる根拠
人生観から人間観への深まり
断念 あきらめ の教え
障り多い人生と無碍の一道
幸・不幸に支配されない
善悪を超える
断念のない寂しさ
念仏の実践は非行・非善
人生に喜びを与えるもの
仏に喜びを与えるもの
仏に予定される世界
名残りを惜しむ人生
『歎異抄』の良さ
歎異篇
第四講 宗教の実習
知識人に敬遠される歎異篇
宗義学の嫌われる理由
歎異された二つの異義
信心で救われるか、念仏で救われるか
宗教の実習
仏の大悲の心の表れ
南無阿弥陀仏とお呪い
他力の念仏
名号の功徳と念仏の功徳
体全体が念仏になってしまった
第五講 凡夫の救われる道
『歎異抄』の問いかけ
学問でも道徳でもない道
学問と信心
知識の限界を知る知識人
他人の口を封じるための学問
来世の往生
煩悩具足の身をもってさとりをひらく
六根清浄
有限なるこの世と無限なる浄土
普遍なるもの
凡夫の救われる道
第六講 宿業と自由
宿業にあらずということなし
宿業と自由
生業と道心
道心
悲しみを感じる
悲しみを通して無限を知る
信心歓喜
限りなき願いに生きる
『歎異抄』本文
あとがき
判型・ページ数 4-6・211ページ
1881年新潟県高田に生まれる。真宗大学卒業。1911年浩々洞の雑誌『精神界』の編集担当。東洋大学教授、真宗大谷大学教授、広島文理科大学講師、1951年大谷大学名誉教授に就任。1976年10月20日逝去。主著 『金子大榮著作集』(春秋社)、『金子大榮選集』(コマ文庫)。
親鸞浄土教の現代的意義を、大乗仏教の根本思想から明確に説き明かした仲野教学待望の集大成『仲野良俊著作集』から名著復刊。(全三巻、ボックス付属、分売不可)https://hozokan.tameshiyo.me/9784831865847(試し読み)
【Ⅰ】
序 文
『正信偈』の組織
『正信偈』という題目
偏りの心を離れる
総 讃
無量寿
不可思議
弥陀章
法蔵菩薩の物語
南無阿弥陀仏の歴史
嘆仏偈と重誓偈
南無阿弥陀仏という名
十二光
無量光、無辺光、無碍光
禅三昧を食とす
無対光、炎王光
清浄光、歓喜光、智慧光
不断光
難思光、無称光、超日月光
本願名号正定業
自己を信知する
釈迦章
如来出世の本懐
信心の利益
菩薩の歓喜地
喜愛心
不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉廻入
摂取心光常照護
信心の喩え
獲信見敬大慶喜
即横超截五悪趣
一切善悪凡夫人
分陀利華と名づく
結 誡
邪見僑慢悪衆生
僑慢の心
【Ⅱ】
龍樹章
七高僧の伝統
中国を通って日本へ
龍樹菩薩
有無の見を破る
証歓喜地生安楽
難行道から易行道へ
阿惟越致にいたる
易行道の方便
難行の陸路、易行の水道
憶念弥陀仏本願
唯能常称如来号
天親章
天親菩薩造論説
帰命無碍光如来
依修多羅顕真実
真実功徳
光闡横超大誓願
浄土真宗の教相
広由本願力廻向
一心を彰わす
帰入功徳大宝海
大会衆の数に入る
得至蓮華蔵世界
諸苦を具足する凡夫
遊煩悩林現神通
曇鸞章
本師曇鸞菩薩
焚焼仙経帰楽邦
天親菩薩論註解
念仏の伝統
報土因果顕誓願
往還廻向由他力
本願力の廻向
還相廻向
正定之因唯信心
無碍光如来の光明
惑染凡夫信心発
わが身の業にうなずく
必至無量光明土
仏法には無我にて候
他力の働く場所
菩薩道としての還相廻向
道綽章
道綽禅師の時代
『観無量寿経』中心の教学
道綽決聖遭難証
時機相応の教え
唯明浄土可通入
万善自力貶勤修
教念弥陀専復専
三不三信誨慇懃
一生造悪値弘誓
至安養界証妙果
【Ⅲ】
善導章
善導独明仏正意
古今楷定
大権の聖者か実業の凡夫か
矜哀定散与逆悪
定心・散心に迷う
光明名号顕因縁
定散をこそ矜哀する本願
両重の因縁
開入本願大智海
実大乗、権大乗の内実
行者正受金剛心
滅度と涅槃
金剛心を正受する
慶喜一念相応後
与韋提等獲三忍
信忍によって凡夫にかえる
即証法性之常楽
源信章
源信僧都と『往生要集』
天台を捨てず、念仏に生きる
源信広開一代教
偏帰安養勧一切
寤寐に忘るることなかれ
源信僧都の念仏の深さ
報化二土正弁立
懈慢界
専雑執心判浅探
極重悪人の自覚
極量悪人唯称仏
我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我
源空章
法然上人との出会い
本師源空明仏教
憐愍善悪凡夫人
選択本願弘悪世
還来生死輪転家
速入寂静無為楽
寂静無為の楽
結 勧
弘経大士宗師等
念仏の伝統
唯可信斯高僧説
解 題
後 記
判型・ページ数 A5・1100ページ
1916年、京都市生まれ。1939年、大谷大学文学部卒業。大谷大学講師、北海道教学研究所所長、真宗大谷派教学研究所所長など歴任。真宗大谷派・専念寺元住職。1988年、逝去。 著書に『浄土真宗―往生と不退―』(東本願寺出版)、『深層意識の解明』、『解読 易行品』、『仲野良俊著作集』(いずれも法蔵館)などがある。
「二十世紀の偉大な賢者ラマナ・マハルシは、一九三〇年代に、のちに彼の恩寵によって真我実現することになる弟子のアンナーマライ・スワミから、『真我実現のために読むべき本を教えてください』と求められた。
そのとき、マハルシが挙げた六冊の聖典(Kaivalya Navanitam, Ribhu Gita, Ashtavakra Gita, Ellam Ondre, Swarupa Saram, Yoga Vasishtha)の中でもマハルシが最も愛し、頻繁に教えを引用し、重要視した聖典が『ヨーガ・ヴァーシシュタ』である。」
(「訳者あとがき」より)
「この本はただの本ではない。この聖典はあなたに真我実現を与えることのできるグルであって、ただの本ではないのだ。だから最高位の敬意を払いなさい」
――H・W・L・プンジャジ(パパジ)
「この聖典を学び、その意味について黙想する人に、苦行や瞑想やマントラの必要はない。なぜなら、この聖典を学べば解脱は確実だからだ」
――賢者ヴァシュシュタ
「満足とは何か? 求めても得られないものへの願望を放棄し、求めずして得たものに満足すること、そのために得意がることや憂鬱になることもない―それが満足である。自己に満足しないかぎり、人は悲しみに支配されてしまう。満足が生まれると、清らかなハートが花開く。何も所有せずに満足する人は、世界を所有するのだ。」
「ラーマよ。無限の意識のエネルギーが存在し、それは常に活動している。ただそれだけが、未来に起こる避けることのできない出来事の正体なのだ。なぜなら、それは時間の中のすべての時代を貫いているからだ。宇宙の中のあらゆるものの本性は、それによって運命づけられている。」
「心という鬼に打ち勝つには、自分自身の努力で真我の知識に達し、心が求める快楽への渇望を棄て去るしかない。だが、正しい態度を培えば、子供が一つの事から別の事へと簡単に注意を転じることができるのと同じように、まったく努力せずにそれを達成することができる。渇望を棄てきれない者に災いあれ。ただ無欲だけが人にとって最善の道なのだ」
「私の教えは、この幻想の世界の実在性を固く信じ、その世界の快楽を追い求めるがゆえに知性を不能にされてしまった人のためにあるのではない。
見ることを拒む人に、色鮮やかな森を見せようと努力する愚か者がいるだろうか? ハンセン病で鼻を失った人に、さまざまな香りの違いを識別する方法を教えようとする人がいるだろうか? 酔っ払いに、深遠な形而上学を教える人がいるだろうか? 村の出来事について、火葬場に横たわる死体に尋ねる人がいるだろうか? もしそんな愚か者がいたとしても、彼を思いとどまらせる人がいるだろうか? 言葉を発することも知覚することもできない心を治められない無知な者を、誰が導けるというのか?」
「『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、多くの物語や解説を織り交ぜながら究極の教えを説いている。それは哲学者だけでなく、現代の心理学者や科学者にさえ驚嘆すべき発見を与えることだろう。現存する聖典の多くは、神が帰依者に向けて説いたものだが、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は神に向けて説かれた教えだ。それは賢者ヴァシシュタが、神であるラーマに授けた教えなのである。
世界創造に関する真の理解をもたらす『ヨーガ・ヴァーシュシュタ』の哲学は、カシミール・シヴァ派の教義に極めて近く、その教えの核心は、『すべては意識である』に尽きる。それはあなたが見る『あるがまま』の物質世界をも含んでいる。これが絶対真理である。世界は意識の戯れに他ならないのだ」 (スワミ・ムクターナンダの「序文」より)
(以上、本文より)
スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ Swami Venkatesananda 【英訳】
1921 年、南インドのタンジョールに生まれる。ボンベイやカルカッタで働いた後、リシケーシにてスワミ・シヴァーナンダの弟子となり、従者として17年間、師に奉仕する。
1961 年、グルの指示により、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、モーリシャス島に赴き講話と瞑想指導をする。
1982 年、南アフリカのヨハネスブルグにて逝去。
訳書に"The Song of God - Daily Readings From TheComplete Bhagavad Gita"、 "Enlightened Living - The Yoga Sutra of Patanjali"、"Vasistha's Yoga"。著書に"Insights and Inspirations"、"Christ, Krishna and You"、"Total Love"、"Multiple Reflections Talks on Yoga Vasistha"、"Lectures on Raja Yoga" 他がある。
福間巖 Iwao Hukuma 【邦訳】
1960年、萩市にて誕生。1974年より北鎌倉臨済宗円覚寺にて6年間参禅。
1979年、インド仏跡巡拝の折、ブッダガヤにてラマナ・マハルシの教えに出会う。
1981年、玉川学園大学英米文学部卒業。山梨県曹洞宗瑞岳院僧堂にて1年間参禅。
スリランカ、カンドゥーボーダ仏教僧院にて1年間瞑想を修す。
米国にてデザイン業、欧州にて瞑想指導および法話。長年インドの聖地に暮らし、J. クリシュナムルティ他多くの聖賢と出会う。
1992年、北インドにてプンジャジと出会い、5年間をともに過ごす。聖山アルナーチャラの麓に在住。
訳書に『ラマナ・マハルシとの対話』他多数。
仏教学の大家・安田理深の、「正信偈」だけでなく『教行信証』全体にも相通じる、初公開の名講義録。
≪第一巻≫
序文
第一章 序説
1、「正信偈」と「願生偈」
2、「正信偈」御制作の動機
3、偈頌と問答
4、諸仏の伝統と知恩報徳
第二章 総讃
1、帰命無量寿如来
第三章 弥陀章
2、法蔵菩薩因位時
3、本願名号正定業
第四章 釈迦章
4、如来所以興出世
5、摂取心光常照護
6、獲信見敬大慶喜
第五章 結誡
7、弥陀仏本願念仏
≪第二巻≫
第六章 依釈段 総讃
8、印度西天之論家
第七章 龍樹章
9、釈迦如来楞伽山
第八章 天親章
10、天親菩薩造論説
11、広由本願力回向
12、帰入功徳大宝海
≪第三巻≫
第九章 曇鸞章
13、本師曇鸞梁天子
14、天親菩薩論註解
15、惑染凡夫信心発
第十章 道綽章
16、道綽決聖道難証
17、三不三信誨慇懃
第十一章 善導章
18、善導独明仏正意
19、行者正受金剛心
≪第四巻≫
第十二章 源信章
20、源信広開一代教
21、専雑執心判浅深
22、極重悪人唯称仏
第十三章 源空章
23、本師源空明仏教
24、還来生死輪転家
第十四章 結勧
25、弘経大士宗師等
あとがき
判型・ページ数 A5・1171ページ
仏教哲学者、真宗大谷派僧侶。1900年、兵庫県生まれ。青年時代は禅やキリスト教などを学ぶが、金子大栄の著作に影響を受けて1924年大谷大学に入学。曽我量深に師事する。1935年頃より、京都で学仏道場「相応学舎」を主宰し、唯識論や親鸞思想などの講義を行った。生涯無位無官を貫き、在野にて自己の思索を深めるとともに、後進の指導にあたり多くの学生・僧侶らに影響を与えた。1982年逝去。
親鸞の他力の浄土教について論じた大拙の英文論文の邦訳。
自らの力で悟りを求める自力教としての禅。仏の慈悲にすがって、往生成仏を願う他力教としての浄土教。
両者は、異なる方法で成仏を実現する教えであった。
親鸞によって開顕された横超他力の浄土教は、凡夫が自らの分別を放擲して仏の慈悲心に直接し、法そのものに包まれて生きる道を開くことで、本来の仏道としての今現在のさとりを実現したと説く。
最晩年の弟子である訳者が大拙の真宗理解に基づき訳出する。収載論文の半数は初邦訳!
https://hozokan.tameshiyo.me/9784831887870 (試し読み)
序文(佐藤平顕明)
Ⅰ
禅と浄土――二種の仏教経験
一、信仰的仏教と思索的仏教
二、浄土門(他力)と聖道門(自力)
三、他力――阿弥陀仏による救済
四、自力――有限を超えて無限に
五、浄土の信の定型句としての念仏
六、思弁型の禅念仏
七、黙祷的タイプの念仏
八、本願への信の重要性
九、二元の世界を破る念仏
十、信仰タイプの禅タイプへの接近
真と禅――その対照
Ⅱ
真宗とは何か
一、自己とは何かという問い
二、ミリンダ王の問い
三、絶対的自己との出会い
四、親さまに出会った才市
五、機法一体を具現する念仏
無限な光
一、アミターブハ――無限な光の仏
二、光と娑婆と地獄
三、娑婆世界の「光明」
四、阿弥陀とその本願
五、本願と自己
名 号
一、阿弥陀仏が自分の名を広めようとした意味
二、阿弥陀仏の名を聞いて無生法忍をさとる
三、名号の力学
四、阿弥陀仏の心と完全に一体化する信者の心
五、私たちと共にある阿弥陀仏
Ⅲ
妙好人才市の研究
一、才市の宗教詩と内省的自己批判
二、「罪」意識の起源
三、才市の罪の概念
四、罪、個別的と集合的
五、才市と和解
妙好人
一、妙好人、浅原才市
二、才市の歌にみられる霊性的問いと答え
三、絶対的肯定と究極的実在の発見
Ⅳ
英訳『教行信証』への序(未完)
一、阿弥陀仏と極楽浄土の建立
二、法蔵の菩薩性と本願の意味
三、阿弥陀仏の大慈悲による往還の円環運動
四、有限から無限に超える横超
五、阿弥陀仏と一体の凡夫の発見
六、本源的力から生じる阿弥陀仏の願
七、法蔵菩薩の四十八願
八、他力――絶対的受動性の真実
九、限りない無礙の光明としての浄土
あとがき
判型・ページ数 4-6・296ページ
1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。
才市を中心に、偶像化されてきた妙好人たちの他力実践者としての真実の姿を明らかにする。
序
一 妙好人
二 妙好人と日本的霊性的なるもの
三 念佛生活の一ヶ月
四 才市の信仰内容
五 信仰に入るまで
六 信仰の健全性と中庸性-衆生済度
七 才市の内生活と南無阿弥陀仏
八 浄土と娑婆
九 親と子-花婿と花嫁
十 南無阿弥陀仏の本体
十一 くくり
付録
判型・ページ数 4-6・294ページ
1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。
原文に口語訳を付しつつ難解な仏典引用を解き明かし、親鸞の思想を丁寧に読み解く名著。
約50年振りに新装版として復刊。
序
一 総説
二 身心柔軟
三 涅槃の智慧
四 苦悩と安楽
五 師弟と善友
六 勝れた功徳
七 説聴の方軌
八 大悲の受施
九 法王の臣民
一〇 身心の教養
一一 さわりなき道
一二 菩提心
一三 大悲の行人
一四 釈迦と弥陀
一五 仏法あいがたし
一六 摂取と証誠
一七 護念の光
一八 宿業への光
一九 妙好人(上)
二〇 妙好人(下)
二一 弥勒の位
二二 無辺の同朋
二三 分限の生活
二四 涅槃の期待
二五 仏教の真宗
二六 真実と方便
二七 仏法と外教
二八 愚禿の悲歎
判型・ページ数 4-6・251ページ
1881年新潟県高田に生まれる。真宗大学卒業。1911年浩々洞の雑誌『精神界』の編集担当。東洋大学教授、真宗大谷大学教授、広島文理科大学講師、1951年大谷大学名誉教授に就任。1976年10月20日逝去。主著 『金子大榮著作集』(春秋社)、『金子大榮選集』(コマ文庫)。
唯識思想では、菩薩が仏になる道筋を、虚妄分別の止滅から意言分別の智慧の獲得として明らかにし、さらに、仏の正覚の智慧を、無分別智と無分別後得智に分けて明らかにすることで、自利利他を完成した仏の智慧の根本を明らかにしている。
唯識思想が説く仏の智慧を基本として、浄土教で説かれる法蔵菩薩と阿弥陀仏の根源的意味を明らかにすることで、往相回向・還相回向が説かれる意義を明確にする。
序文
第一章 「虚妄分別」と「意言分別」とは
一、ラトナーカラシャーンティの唯識説――虚妄分別の成立
二、虚妄分別(煩悩)と菩提について
三、虚妄分別とは何か
四、虚妄分別(迷い)から意言分別(智慧)へ
五、ラトナーカラシャーンティの、梵文『般若波羅蜜多論』の「菩薩の修道論」
六、「意言分別」も、「虚妄分別」のアーラヤ識の如く、種子を有する
七、「意言分別」とは何か
八、意言分別とはどのような分別であるか
九、意言分別と解脱(唯識の真観)
十、「虚妄分別」より「意言分別」へ、さらに「無分別智(唯識の真観)」へ――「蛇・藤蔓・四塵の譬」によって解説する
十一、「無分別智」の成立
十二、梵文『入無分別陀羅尼経』を引用して、「無分別智・無分別後得世間智」を解説する
十三、釈尊の「金剛座」での沈黙と、その後の伝道、説法の開始
十四、無分別智の行者は「唖人の如く」、無分別後得智の行者は「非唖人の如し」
十五、「無分別智」は無分別であるのに、何故、「智」であるか
第二章 『無量寿経優波提舎願生偈註』(浄土論)
一、『浄土論』の修行者は法蔵菩薩である
二、「一法句者謂清浄句」とは
三、一法(法身、無分別智、清浄句)と一法句(受用身と変化身、後得清浄世間智)について
第三章 曽我先生の法蔵菩薩=阿摩羅識説に菩薩像を問う
一、阿摩羅識(amalavijnana)とは何か
二、阿摩羅識という言葉が消えて「幻師」という言葉が現れる
三、「幻師」という言葉は『摂大乗論』に引き継がれる
四、菩薩は因果の相を、幻師の如く了別する
五、菩薩は無分別後得智・幻術師・受用身(仏身)である
第四章 唯識より浄土教の菩薩像を問う
一、「往相廻向」「還相廻向」について改めて問う
二、金剛法座の釈尊に「往相、還相」論は可能であるか
三、『浄土論註』の還相廻向に対する小川説批判
四、菩薩はすでに受用身(仏身)である
五、「巧方便廻向」について小川説を批判する――菩薩は衆生に先がけてすでに成仏している
六、「善巧摂化」と十波羅蜜
七、十波羅蜜とは何であるか
八、『大乗荘厳論』等より、浄土教の菩薩像を問う
九、菩薩の「往相廻向」「還相廻向」について
結び
資料
跋文
判型・ページ数 4-6・138ページ
昭和11年、石川県白山市に生まれる。昭和34年、大谷大学文学部仏教学科卒業。昭和39年、名古屋大学大学院印度哲学専攻、博士課程単位取得。名古屋大学文学部助手、名城大学教授を歴任。 現在、名古屋大学名誉教授。文学博士(論文博、名古屋大学)。真宗大谷派嗣講。瑞宝章受章。
主な著書に、『インド後期唯識思想の研究』、『アビダルマ仏教とインド思想』(共著)、『「いのち」の意味』、『真宗の「命観」――私たち人間が仏となること』、『「人間の悪」に対する裁きと救い』、『悪人、善鸞は救われましたか?』、『文学者 三島由紀夫と仏教』、『世親の浄土論と瑜伽行唯識』、『浄土論の唯識思想』ほか。
「私とは誰か?」という普遍的な問いを真正面から捉え、
“意識だけが唯一実在する真理である"という教えを、
さまざまな問題における彼の観点を要約した質疑応答の形式で紹介しています。
「心が静まれば、世界全体が静まる。心がすべての原因である。
それが静まれば、本来の自然な状態はひとりでに現れるだろう。」
第一部 真我 The Self
第1章 真我の本性
第2章 真我の自覚と無知
第3章 ジニャーニ(賢者)
第二部 探究と明け渡し Enquiry and Surrender
第4章 真我探究―理論
第5章 真我探究―実践
第6章 真我探究―間違った認識
第7章 明け渡し
第三部 グル The Guru
第8章 グル
第9章 沈黙とサットサン
第四部 瞑想とヨーガ Meditation and Yoga
第10章 瞑想と集中
第11章 マントラとジャパ
第12章 世界の中で生きる
第13章 ヨーガ
第五部 体験 Experience
第14章 サマーディ
第15章 幻影と超能力
第16章 困難と体験
第六部 理論 Theory
第17章 創造の理論と世界の実在性
第18章 輪廻転生
第19章 神の本質
第20章 苦しみと道徳
第21章 カルマ、運命、自由意志
〈特別収録〉
私は誰か? Who am I?
現代のウパニシャッドとも呼ばれる聖典級書籍。正式の教育を受ける事もなく、ボンベイの外れの村に、平凡に雑貨屋を営みながら暮らしていたが、グルに出会いわずか3年で真我を実現した偉大なる覚者。
1973年の初版以来、現代随一の聖典と絶賛され、読み継がれてきた
ニサルガダッタ・マハラジの対話録、本邦初訳!
ラマナ・マハルシの「私は誰か?」に対する究極の答えがこの本にあります。
私は在る。
そして私が在るゆえにすべては在る。
「私は誰か?」という質問に答えはない。
いかなる体験もそれに答えることはできない。
なぜなら、真我は体験を超えているからだ。
シェリー・ニサルガダッタ・マハラジ