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ジー・ジー・バン ドは2013年に釜山にて、マサチューセッツ出身の画家、マット・ジョーンズと釜山生まれのジー・ユン・リムによって結成されたバンドで、メンバーを固定 しない流動的な編成をもつ。初のフィジカル版アルバムとなるこの『グラス・フィッシュ』の収録曲は、iPhone、ベッドルーム、スタジオと環境も場所も バラバラで制作され、録音に顔を出す面子はセバドーのボブ・フェイやYod Tapesのジョン・モロニー等のマサチューセッツ人脈。「マサチューセッツといえば、われらがKレコーズの所在地であるオリンピアと並ぶ、インディー/ ロウファイの聖地」(解説より)。彼らに宿るDIYインディー魂が北米圏を飛び出し、東アジア文化を飲み込んで一層くだらなくパワーアップし、最新鋭のゆ るふわ脱力感を供給する。

CD店の棚の一角を占めるほど並ぶケージのディスク群に、このような作品は見あたらない。国内外を問わず、これら劇薬作品は作曲当時以外にはほとんどリ リースされていないからで、ケージの容赦ないハードコアな側面を知ろうとしてもムリなのだ。結果、「ジョン・ケージ?プリペアド・ピアノとか音のない音楽 とかで有名な人ね。」耳にやさしい初期のピアノ曲や晩年の散文空虚作品しか聴いたことがない”現代音楽ファン”、そして音を聴きもしないで哲学的言葉遊び でケージを論じる評論家どもは、この「本当の衝撃」に正座して耳を傾け、平伏せよ!
-JOHN CAGE SHOCK Vol. 3-
1. John Cage - 0'00" (18:09)
Performer: John Cage
2. Michael von Biel - Composition II for 2 Pianos (6:12)
Performer: 一柳慧 (pf) + David Tudor (pf)
3. 一柳慧 - Music for Piano #7 ピアノ音楽第7 (14:59)
Performer: 一柳慧(pf) + David Tudor (pf)
かの有名な「4′33″」の第2番として書かれたのがこの「0′00″」で、この演奏が世界初演。「最大の増幅が得られるようにし、抑制された行為をせ よ」という指示書きに従い、文字を書いたりするガサゴソという音がノイズとなって放出される。一柳の初期のグラフィック作品「ピアノ音楽第7」も、ピアノ や玩具などを使って炸裂するソリッドな音響が怪しくも美しい!他にビールの「Composition II」を収録。
・全曲未発表/世界初登場
・貴重・初出写真多数掲載
・日本語・英語解説ライナー封入(一柳慧氏による巻頭辞収録)
・2 面見開き紙製ジャケット・帯付属

まだアメリカが知らないHIPHOPの最新形はここにある。88risingと真逆な方向からアジア・ローカルをレペゼンし、それ故にグローバルに通用する全くフレッシュな音楽を作り上げてしまうタイの異能、Juu。オートチューンを手にいれたキャプテン・ビーフハートか?水牛に乗ったドレイクか?1stフル・アルバム『ニュー・ルークトゥン』がいよいよドロップ!
Juu(ジュウ)とは何者か?魅力的なアクトが次々登場するタイのHIPHOPシーン。その中でもOGとしてリスペクトされるJuuだが、タイ国外からその存在をキャッチするのは困難を極める。タイ語で歌いフィジカルはゼロ、Youtubeにしか存在しなかったその痕跡をOMK(One Mekong)が辿って接触に成功。2017年、遂に彼を招聘して初来日ライブを敢行しその異形な音楽性と人物像が明らかとなる。太すぎるベースと細かく刻まれたハイハットのグルーヴはTRAP以降のそれだが、自在に伸縮するフロウ、英語・タイ語・日本語・甲州弁を織り交ぜるぶっ飛んだ言語感覚、そして豊穣なタイ音楽クラシックからの引用(あとファニーな人柄も)そのどれもが当世に溢れるTRAPコピーキャットと全く別次元にいることを示していた。
本作はこの異才とOMKの面々が意気投合し、stillichimiya/OMKのYoung-Gのリードで共同制作を始め、およそ2年がかりで完成したJuu初のフル・アルバムとなる作品だ。大半のトラックがYoung-Gの手になるもので、このサウンドがまたOMKのアティテュードを反映した野心にみなぎっている。チンやカウベルやケーン、ピンといったタイの楽器を随所に取り入れつつ、しかし決してエキゾチックな味付けに使っていない。タイに元々あるビートやグルーヴを注入するため、それらを必然として取り込んでいるのだ。そしてメロウな曲で滲み出るのはルークトゥンとも日本の演歌とも通じるフロウ(歌心)。それらがJuuのバックグラウンドであるHIPHOPやレゲエを介してなんとも言えない「新しい歌謡感」を生み出している。
タイトルの『ニュー・ルークトゥン』が示す通り、本作は死滅しかけていたタイの歌謡ジャンル、ルークトゥン(*1)を最先端HIPHOPでパッタナー(*2)したものだ。このルークトゥンという音楽は、HIPHOP同様に過去のクラシックを何度も引用(サンプリング)し蘇らせる。そしてこれもHIPHOP同様に歌詞(リリック)が非常に重要な音楽でもある。このルークトゥンとHIPHOPに共通するマナーを完全に矛盾なく消化しきったのが本作の特徴だ。Juuが制作の過程で「これはニュー・ルークトゥンだ」とYoung-Gに言ったことから付いた本作のタイトルだが、これは必然というべきネーミングだろう。本作は「最新のHIPHOP」であるし「最新のルークトゥン」でもあるのだ。タイHIPHOP界最高の”マスター・ポエット”としてリスペクトされるJuuの詩の世界は、翻訳に難航を極めた完全対訳を是非チェックしてほしい。

まだアメリカが知らないHIPHOPの最新形はここにある。88risingと真逆な方向からアジア・ローカルをレペゼンし、それ故にグローバルに通用する全くフレッシュな音楽を作り上げてしまうタイの異能、Juu。オートチューンを手にいれたキャプテン・ビーフハートか?水牛に乗ったドレイクか?1stフル・アルバム『ニュー・ルークトゥン』がいよいよドロップ!
Juu(ジュウ)とは何者か?魅力的なアクトが次々登場するタイのHIPHOPシーン。その中でもOGとしてリスペクトされるJuuだが、タイ国外からその存在をキャッチするのは困難を極める。タイ語で歌いフィジカルはゼロ、Youtubeにしか存在しなかったその痕跡をOMK(One Mekong)が辿って接触に成功。2017年、遂に彼を招聘して初来日ライブを敢行しその異形な音楽性と人物像が明らかとなる。太すぎるベースと細かく刻まれたハイハットのグルーヴはTRAP以降のそれだが、自在に伸縮するフロウ、英語・タイ語・日本語・甲州弁を織り交ぜるぶっ飛んだ言語感覚、そして豊穣なタイ音楽クラシックからの引用(あとファニーな人柄も)そのどれもが当世に溢れるTRAPコピーキャットと全く別次元にいることを示していた。
本作はこの異才とOMKの面々が意気投合し、stillichimiya/OMKのYoung-Gのリードで共同制作を始め、およそ2年がかりで完成したJuu初のフル・アルバムとなる作品だ。大半のトラックがYoung-Gの手になるもので、このサウンドがまたOMKのアティテュードを反映した野心にみなぎっている。チンやカウベルやケーン、ピンといったタイの楽器を随所に取り入れつつ、しかし決してエキゾチックな味付けに使っていない。タイに元々あるビートやグルーヴを注入するため、それらを必然として取り込んでいるのだ。そしてメロウな曲で滲み出るのはルークトゥンとも日本の演歌とも通じるフロウ(歌心)。それらがJuuのバックグラウンドであるHIPHOPやレゲエを介してなんとも言えない「新しい歌謡感」を生み出している。
タイトルの『ニュー・ルークトゥン』が示す通り、本作は死滅しかけていたタイの歌謡ジャンル、ルークトゥン(*1)を最先端HIPHOPでパッタナー(*2)したものだ。このルークトゥンという音楽は、HIPHOP同様に過去のクラシックを何度も引用(サンプリング)し蘇らせる。そしてこれもHIPHOP同様に歌詞(リリック)が非常に重要な音楽でもある。このルークトゥンとHIPHOPに共通するマナーを完全に矛盾なく消化しきったのが本作の特徴だ。Juuが制作の過程で「これはニュー・ルークトゥンだ」とYoung-Gに言ったことから付いた本作のタイトルだが、これは必然というべきネーミングだろう。本作は「最新のHIPHOP」であるし「最新のルークトゥン」でもあるのだ。タイHIPHOP界最高の”マスター・ポエット”としてリスペクトされるJuuの詩の世界は、翻訳に難航を極めた完全対訳を是非チェックしてほしい。

Juu & G.Jeeを主役に、今年10(ジュウ)月に日韓共同で開催し大成功となった「OMK<ニュー・ルークトゥン>ツアー」のため制作した会場限定のスペシャルなMIX CDを、ご要望にお応えして限定流通します!ジュウさんが親しんできたタイ音楽、フォークソング、ルークトゥン、現在のスタイルに決定的な影響を及ぼしたタイのHIPHOP、そして自身のアルバムのトラックを混ぜ込んだ内容はまさに題名通り(<実にいいタイトルだ!)。新旧互いに影響しあった全く新しい作品を造り出したい、というジュウさんの哲学を反映した作品であり、『ニュー・ルークトゥン』のサブ・テキストとしても聴けます。また、過去から徐々にアップデートしていくタイ音楽の発展(パッタナー)も表現されているようで、ちょっとした歴史体験にも。マニアにとっては黎明期のタイHIPHOPが聴けることも重要!

JUU4E傑作アルバム『ニュー・ルークトゥン』(2019)のstillichimiyaをフィーチャーした大人気キラーチューン「ソムタム侍」をパワーアップしてお届けする究極のハイパー盛りミニ・アルバム『ソムタム侍GOLD』!Monaural mini-plug参加!!DLコード付きLPでぶちあげ限定リリース!!!
スティルイチミヤ総員をフィーチャーした渾身の熱いマイク回しだが、よく考えると何も言ってないという偉大なポッセカット、それが「ソムタム侍」。今回、ただでさえ意味不明のこのパーティーチューンに、地元タイ勢よりも正統的なピンプラユック・バンドを目指す熱い日本人青年団 Monaural mini plug(モノラル・ミニプラグ)が参加し、ますます妙な方向に成長した極限デコトラ状態2568年ヴァージョンが完成(※2568はタイ仏暦)。そしてその後ろには、我々によって10年以上にわたり無理矢理タイ音楽を聞かされ続けた信頼篤いエンジニアでミュージシャン、Ruv Bytesこと倉谷拓人による大改造ズブズブヘヴィーDUBヴァージョンを接続し、A面でもうお腹いっぱい、、、
しかし今回はそれで終わらない!!B面にはJUU4Eの3rdアルバム『イズ』からの唯一のVINYL版カットとなる「Budsaba」と「One Cup Sake」を収録。さらに仕上げに『ニュー・ルークトゥン』収録のアルバム版オリジナル「ソムタム侍」の2025年最新リマスター、未発表だった同曲のインストとアカペラを足した全部盛り仕様!スティルイチミヤのMMMが参加者を見たまま実物通りリアルに描画したアートワークに包んでお届けします。


ジュウさんはいつも裏切らない。ヒップホップの、ポップミュージックの「ローカル」と「グローバル」について、タイから届いた満額回答!『ニュー・ルークトゥン』『馬鹿世界』に続くJUU4Eの3rdアルバム『イズ』は、ジャージークラブやドラムンベース、ドリルなど多彩なリズムと仏教の世界観に基づいた歌詞が渾然一体となって駆け抜ける、悟りと踊りが詰まった快作!
グローバルなポップミュージックの地位を確立して久しいラップ・ミュージックだが、ラップは英語(アメリカ英語)でなければ米国でヒットすることは難しい。これはK-POPの戦略を見ても自明のことだと思う。アメリカ英語を練習して巧みに操り、ラップ・ミュージックの「アジア」の枠に花を咲かせている韓国のアーティストが多数いる一方で、ローカルの意味を音とリリックに落とし込み、ヒップホップを完全な地元の味に調理してしまう「アジア」のアーティストも存在する。タイのJUU4Eはまさしくその代表的な存在だ。
タイのヒップホップ・シーンにおいてOGとしてリスペクトを受け、独自の位置を確立しているラッパーJUU4E。ファースト・アルバム『ニュー・ルークトゥン』(2019年)では、stillichimiya/OMKのYoung-Gプロデュースの元、タイの雑食ゲットー歌謡ルークトゥンをヒップホップと折衷、最新のヒップホップであると同時に最新のルークトゥンでもあるという傑作を作り上げた。続く『馬鹿世界』(2021年)ではサイケデリックかつ、タイ南部の舞踊芸能ロン・ゲンや日本民謡など意識的に「アジア」の風味を取り入れたユニークな音楽を展開し、コロナ渦中の混沌とした世界を描いた。 これらの流れを継ぐ『イズ』は、コロナを乗り越えて再びパーティーが始まる、開放感に溢れたダンス・アルバムなっている。
アルバムの前半6曲は、2023年にデジタルEPとしてリリースされたもので、アップテンポのジャージークラブ、ドラムンベース、ドリルといった「グローバル」のトレンド・ビートにタイの伝統楽器であるケーンのループや「ワンカップ酒」といったローカル局所トピック、そして仏教の世界観に基づく歌詞が結び付けられ、踊りたい衝動と自分の立ち位置を問うてくるような感覚が交互に訪れる。文脈は全く違うが、デヴィッド・バーンとブライアン・イーノの『My Life in the Bush of Ghosts』と同種の感覚ではないか。後半の7曲は今回が初出となるが、前作『馬鹿世界』収録の「トンブリー丼」のドープな別バージョンや、めでたくタイで解禁されたガンジャをドリルのビートで讃える「タイは吸う」など、前半と同じく開放感に溢れるチューンと独自の詞世界に溢れた内容となっている。前半6曲、後半7曲、そう、合わせて13(ジュウさん)曲!
ジュウさん曰く、このアルバムはコロナを乗り越えてみんながまた集まる楽しさを取り戻せたという喜びの感情を内蔵しているとのこと。本当にその通り。爆音でプレイしてパーティーをまたスタートさせよう!

米アトランタ生まれのTRAPビートは世界の共通言語となってレプリカを生み続け、アジアも例に漏れず多数のアクトが現れては消え、韓国、タイ、インドネシアといった国々のラッパーが注目されて久しい昨今。「YOUTUBE再生○○万回!」「インスタグラムフォロワー○○万人!」そんな惹句が飛び交い、ラッパーはソーシャルメディアを駆使し一発のバズからマネタイズを目論む仁義もへったくれもない中、ひたすら自分のローカルを力強く表明しオリジナルなHIP HOPを作り出し続けているのがJUU4Eだ。
若い才能が次々現れるタイにおいてOGとしてリスペクトを受け、独自の立ち位置を確立しているラッパー、JUU4E。前作『New Luk Thung』(2019)では、stillichimiya/OMKのYoung-Gプロデュースの元、タイの雑食ゲットー歌謡、ルークトゥンをHIP HOPと折衷し最新のHIPHOPであると同時に最新のルークトゥンでもあるという傑作を作り上げた。同作はタイ国内でも権威あるRIN (Rap is Now)の年間ベストにノミネートされるなど、内外に衝撃を与えたが、この『New Luk Thung』リリース時、実はすでに本作「馬鹿世界」の制作は始まっていた。
本作は全てJUU4Eのセルフ・プロデュース。タイ日英語を織り交ぜたリリックと、伸縮自在なフロー、前作より重心が低くダビーに煮詰められたトラックは、HIP HOP/TRAPを咀嚼し、完全に自分のものとした前作同様だが、特筆すべきは強く<アジア>をレペゼンしている意思が感じられる点だ。マレーシア音楽の影響を受けたタイ南部の舞踊芸能ロン・ゲン、日本民謡、そしてJUU4Eが幼い頃から慣れ親しんできたテレサ・テンの曲を引用しているが、JUU4Eの内部に取り込まれ出てきたそれらは、かつてワールドミュージックが持っていた見せかけのグローバルやエキゾチシズム、また現在のアジアのHIP HOPに悪気なく横行するセルフ・オリエンタリズムを軽々と一刀両断している。
もしあなたがアジアのHIP HOP熱いよね~とネットに氾濫する情報をかじって本作に触れたならば幸運。「馬鹿な世界」に真っ向から挑むリリックと、圧倒的な自由さでぶちかまされるサウンドに叩きのめされて是非とも馬鹿になって欲しい。

米アトランタ生まれのTRAPビートは世界の共通言語となってレプリカを生み続け、アジアも例に漏れず多数のアクトが現れては消え、韓国、タイ、インドネシアといった国々のラッパーが注目されて久しい昨今。「YOUTUBE再生○○万回!」「インスタグラムフォロワー○○万人!」そんな惹句が飛び交い、ラッパーはソーシャルメディアを駆使し一発のバズからマネタイズを目論む仁義もへったくれもない中、ひたすら自分のローカルを力強く表明しオリジナルなHIP HOPを作り出し続けているのがJUU4Eだ。
若い才能が次々現れるタイにおいてOGとしてリスペクトを受け、独自の立ち位置を確立しているラッパー、JUU4E。前作『New Luk Thung』(2019)では、stillichimiya/OMKのYoung-Gプロデュースの元、タイの雑食ゲットー歌謡、ルークトゥンをHIP HOPと折衷し最新のHIPHOPであると同時に最新のルークトゥンでもあるという傑作を作り上げた。同作はタイ国内でも権威あるRIN (Rap is Now)の年間ベストにノミネートされるなど、内外に衝撃を与えたが、この『New Luk Thung』リリース時、実はすでに本作「馬鹿世界」の制作は始まっていた。
本作は全てJUU4Eのセルフ・プロデュース。タイ日英語を織り交ぜたリリックと、伸縮自在なフロー、前作より重心が低くダビーに煮詰められたトラックは、HIP HOP/TRAPを咀嚼し、完全に自分のものとした前作同様だが、特筆すべきは強く<アジア>をレペゼンしている意思が感じられる点だ。マレーシア音楽の影響を受けたタイ南部の舞踊芸能ロン・ゲン、日本民謡、そしてJUU4Eが幼い頃から慣れ親しんできたテレサ・テンの曲を引用しているが、JUU4Eの内部に取り込まれ出てきたそれらは、かつてワールドミュージックが持っていた見せかけのグローバルやエキゾチシズム、また現在のアジアのHIP HOPに悪気なく横行するセルフ・オリエンタリズムを軽々と一刀両断している。
もしあなたがアジアのHIP HOP熱いよね~とネットに氾濫する情報をかじって本作に触れたならば幸運。「馬鹿な世界」に真っ向から挑むリリックと、圧倒的な自由さでぶちかまされるサウンドに叩きのめされて是非とも馬鹿になって欲しい。

『清澄黒河』で日本ヒップホップに突如切り込んだラッパー、Karavi Roushi(カラヴィ・ロウシ)の待望NEWアルバム『BLADE N』。前作同様サウンドデザインをAquadab(アクアダブ)が担当、ラッパーとトラックメイカーの密な双方向性で作られた本作は二人の連名リリースであり、また、Karavi Roushiの2ndソロ・アルバムにもなる入れ子のような作品です。
Karavi Roushiは、名古屋のヒップホップ・コレクティブHydro Brain Gangの一員として、Nero Imaiのアルバム『Return Of Acid King』(2017)に参加しシーンに登場。その後、Aquadabとレーベル《Super Lights》を立ち上げ、Takara Ohashiをデザイナーに迎えて2019年に1stソロ・アルバム『清澄黒河』を発表。無名の新人ながらiTunesのHip Hop Japanアルバムで総合15位を記録し、音楽だけでなくOhashiがデザインしたCD装丁でみせたトータルアートも衝撃を与えました。また、コロナ禍に制作されたコンピレーション『S.D.S =零=』(2020)で発表された「Tokyoite」は、参加アーティスト達のフェイバリット/裏アンセムに。
この3人のチームで、ガラス細工のように繊細に作り込まれた本作『BLADE N』は、音楽面で意識的に方法論を変え、従来NGとされてきたラッパーのヴォイスやフローに干渉する対旋律を積極的に採用した楽器法、複雑に音が編まれたトラックで、ラッパーとトラックメイカーは真に対等の関係をつくり得るのかという問いを発しています。時にシンセ機材のようなKaravi Roushiの超常ヴォイスは切れ味を加え、アートワークでは、「死なないこと」とファースト・トラックで歌い出される『BLADE N』に秘められた物語世界をOhashiがヴィジュアル抽出し、『清澄黒河』同様のインパクトを与えています。
本作の注目フィーチャーにはrawbaiとの共演でも話題のKuroyagi、 Emotionalな心の機微を歌うORIVA、Nipps率いるThe Sexorcistの C.J. CALが参加し、サウンド面ではCo-ProducerとしてSyntheticが1 曲参加しています。

『清澄黒河』で日本ヒップホップに突如切り込んだラッパー、Karavi Roushi(カラヴィ・ロウシ)の待望NEWアルバム『BLADE N』。前作同様サウンドデザインをAquadab(アクアダブ)が担当、ラッパーとトラックメイカーの密な双方向性で作られた本作は二人の連名リリースであり、また、Karavi Roushiの2ndソロ・アルバムにもなる入れ子のような作品です。
Karavi Roushiは、名古屋のヒップホップ・コレクティブHydro Brain Gangの一員として、Nero Imaiのアルバム『Return Of Acid King』(2017)に参加しシーンに登場。その後、Aquadabとレーベル《Super Lights》を立ち上げ、Takara Ohashiをデザイナーに迎えて2019年に1stソロ・アルバム『清澄黒河』を発表。無名の新人ながらiTunesのHip Hop Japanアルバムで総合15位を記録し、音楽だけでなくOhashiがデザインしたCD装丁でみせたトータルアートも衝撃を与えました。また、コロナ禍に制作されたコンピレーション『S.D.S =零=』(2020)で発表された「Tokyoite」は、参加アーティスト達のフェイバリット/裏アンセムに。
この3人のチームで、ガラス細工のように繊細に作り込まれた本作『BLADE N』は、音楽面で意識的に方法論を変え、従来NGとされてきたラッパーのヴォイスやフローに干渉する対旋律を積極的に採用した楽器法、複雑に音が編まれたトラックで、ラッパーとトラックメイカーは真に対等の関係をつくり得るのかという問いを発しています。時にシンセ機材のようなKaravi Roushiの超常ヴォイスは切れ味を加え、アートワークでは、「死なないこと」とファースト・トラックで歌い出される『BLADE N』に秘められた物語世界をOhashiがヴィジュアル抽出し、『清澄黒河』同様のインパクトを与えています。
本作の注目フィーチャーにはrawbaiとの共演でも話題のKuroyagi、 Emotionalな心の機微を歌うORIVA、Nipps率いるThe Sexorcistの C.J. CALが参加し、サウンド面ではCo-ProducerとしてSyntheticが1 曲参加しています。

カセット時代のタイを席巻した“ラムペーン”の顔、クワンター・ファーサワーンのワルなチューンがベスト盤で堂々の世界初CD化。伝統とかけ離れたダンス現場仕様、ストリート・モーラムの赤裸々な姿がここに!
伝統の「型」を継承する側面をもつ芸能だったモーラム(*1)では、新しく型を作ることは稀だったが、80年代初頭に出現した「ラム・ペーン」は、凄腕プロデューサー、ドイ・インタノンが時代のニーズで創作した新型ラムで、その登場は文字通り<型破り>の出来事だった。このラム・ペーンは最初からダンスホール現場に特化、現在最前線で猛威を振るうラム・シンの登場を促したともいわれ、90年代以降のタイ産ベースミュージックの祖となる重要ラム型だ。本解説ではSoi48がその誕生秘話を解き明かす。
クワンターはドイ・インタノンに歌手1000人の中から選ばれてデビューしたラム・ペーンの代表格。ストロングな風貌で底辺のタイ人(イサーン人)の生活風景をラムし、ダンスを煽り、太く短く燃えたパワフルな歌手だ。代表曲のひとつ、モーターサイ(*2)のエンジン音をぶち込んだタイ式バイカー・ソング傑作「Lam Phaen Motorsai Tham Saeb(憎っくきモーターサイ)」をはじめ、ヘヴィーなストリート・モーラムを訳詩とともにお楽しみあれ!
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*1:モーは達人、ラムは声調に抑揚をつけながら語る芸能。つまり“語りの達人”で、その歌手と芸能の両方をさす名称。モーラムは“歌”ではない。イサーン(タイ東北部)が本場。
*2:タイでいうオートバイのこと。
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+ 選曲・解説・装丁:Soi48(英訳付き)
+ 日本語・英語訳詩
+ CD 版:通常ジュエルケース,24頁ブックレット
+ LP 版:ライナー封入


クープーはフリーフォーク・ブームまっただ中の2000年代初頭に十代でデビューし、個性的なアーティストのひしめくフィンランドの中でも突出した才能で世界を驚かせた。
姿勢・作風は一貫して実験性の高いものでありながら現代最前線ポップに成立した作品(その点でかつての暴力温泉芸者を彷彿とさせる)がじわじわと世界に浸透し、米・英・欧でたびたび演奏に招かれる。
クープーは全くの独学で音楽を始めているが、最初から“エレクトロアコースティック”である点が重要で、当時はフリーフォークと混同されていたが(呼ぶのは勝手)、新しいポップ・ミュージックの担い手として、実験音楽・ニューミュージック作家としての評価は世界でも揺るぎない。
音楽のみならず、画家・オブジェ作家としても才能を発揮するマルチ・アーティストだ。
音楽作家としては既に通算で十数枚のリリースがあるのだが、大半がハンドメイド/極少部数制作のカセットやCDRの自主流通であったため、最初から入手が難しく、よほど熱心なリスナーでない限り全容がつかめなかった。特に日本では長らく未発売であったためかなりの時差がある。
本コレクションは2003年のデビュー作を含む入手困難な初期作品から、未発表曲、最新アルバム『シーサー (Sisar)』[EM1112LP]のリミックスまで新旧あわせた全31曲を収録し、各曲への作家自身の解説も掲載(貴重!)。
初体験者からコアなファンまで、現時点でクープーを知るための最良の1枚である。
本作のディスク1には「暗がりにある暖かい有機的質量」(Pitchfolk)と評され、フリーフォークと冠されていた初期の作品を収録。ディスク2ではテープ編集、エレクトロニクスを取り入れ、作風が刻々と進化して行く現在までの状況がわかる。
なお、本作タイトル『スース・ジュジュ』は魔術師の弟子(あるいは魔除けの守り)といったニュアンスの英語の造語。



「レコード・オブ・ザ・イヤー:
Martin O'Cuthbert: 'B.E.M.S' (Esoteric Records)
マジで、このレコードをかけたとき、壁にあった物がいきなりビリビリ震え出した。証人もいる。マーティン・オカスバートって奴は超邪悪な人間か(レコード聴いてみろ)とんでもない大馬鹿だ(レコード聴いてみろ)。たぶん日本でビッグになるな。全部ヤマハのオルガンのせいと思うけど、どうやったらシンセでこんなヒドイ音だせるんだー?」
(ジョン・ライドン『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』 1978年7月22日)
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『INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE!!!【雑音だらけのディスクガイド 511選】』著者、持田保先生の選曲・解説でおごそかにお送りする病理的異星人シンセ音楽集!!
マートック(初期はマーティン・オカスバートの名で活動)はポストパンク期に地球にあらわれ現在も活動する英の作家/電子・電器音楽家。ジョン・フォックス、ファッド・ガジェット、クラフトワーク、イーノらに影響を受け(たらしい)、同国人のJ.G.バラードやイアン・バンクスをはじめとするSF・幻想文学に深く傾倒。その合成が自作に展開した‥‥‥のかは定かでないが、彼の暗黒フォースの強大な威力はジョン・ライドンを痺れさせたことで証明された(しかもデビュー作で)。
彼はメジャーの誘いを全て拒否し「使い捨て商品に沿ったものの見方をしない、永続的な音楽の創造」(!!!)という崇高な目的のため、全てを自主制作で発表。その数シングル11枚、アルバム13枚。録音では異星人に向け発信したと思われるビリビリなシンセ音とグルーヴ感の崩壊したドラム・マシーンを多用。全くもってイルな(=地球人には理解しがたい)偉大なる作品群を、持田先生が身を挺して受け止め選んだ全10曲ザ・ベスト・オブ・マートック!!!!(ボアダムズ山塚先生のフェイバリットでもちょと有名!?!)

なんでまたエムで古典ピアノ作品??と訝しむなかれ。耳障りはいいが、これが実は相当な孤高・異端作品なのである!!なぜ孤高かといえば、そもそもアンダルシア古典音楽でピアノは末席中の末席、スカンドラニが現代に開拓したも同然の演奏法であること。なぜ異端かといえばこの人以前のアンダルシア音楽のコンサートでピアノ独奏はありえず、また、題名にもなっている「イスティクバル」(アンダルシア宮廷音楽の様式のひとつ)をピアノでやるなど誰も考えつかなかった(当時も物議をかもした)。
■マメ知識■
アルジェリアの古典音楽はスペインのアラブ・イスラム王朝が起源のアンダルシア宮廷音楽とトルコの古典音楽が混同し、西洋/アフリカ先住民/ユダヤ系の影響も受け、東西文化が統合した混血度の高さが特徴。「イスティクバル」は宮廷音楽の組曲様式「ナウバ(またはヌーヴァ)」の重要な前奏曲であり、幾つかの型(モード)がある。(※詳しくは解説を参照の事)‥‥と、そんな小難しいことも理解には必要ではあるが、それよりも先に、ここで展開されるオリエント/西洋/アフリカが鍵盤上で優雅に交差するさま、その不思議な世界が最大の魅力。和声に依らず単一の声部で構成されるアラビア音楽の特徴により、ピアノからつむぎ出される和声は一本の繊細な線のようで、それが優雅に、まるで東西世界を行き来するかにように動き回るのを聴くのは快感。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」もそう遠いものには感じられない(実際、アラビア版「ゴルトベルク変奏曲」と評される事も)。混血度の高いアンダルシア音楽のなかでも『イスティクバルと即興』は折衷された様式の境界を更に曖昧にとけ込ませるようだ。
・2面見開き紙製ジャケット(エンボス加工)
・ ライナー封入(解説/プロフィール)
・ 日本語・英語掲載


アルジェリアのピアニストで作曲家、ムスタファ・スカンドラニがアンダルシア民謡の旋律をピアノで即興変奏した二つとない珠玉のアルバム、『イスティクバルと即興』 (1965 年)。 時代を超越した穏やかで清冽な純音楽のマスターピース。
アンダルシア古典音楽で西洋由来のピアノは末席、このスカンドラニが開拓したも同然の演奏法でその作品は異端扱いされたそうです。なぜ異端かといえばこの人以前のアンダルシア音楽のコンサートでピアノ独奏はありえず、「イスティクバル」(アンダルシア宮廷音楽の様式のひとつ)をピアノでやるなど余人は考えつかず、当時、物議をかもしたといいます。
アルジェリアの古典音楽はスペインのアラブ・イスラム王朝が起源のアンダルシア宮廷音楽とトルコの古典音楽が混同し、西洋/アフリカ先住民/ユダヤ系の影響も受け、東西文化の統合が特徴とされます。「イスティクバル」は宮廷音楽の組曲様式「ナウバ(またはヌーヴァ)」の前奏曲で、幾つかのモード(型)があります。本作では、ひとつのモードをまず主題的に演奏・提示し、その後、変奏を行って1セットとし、合計9セットのモードを収録しています。本作の分かりやすい魅力はオリエント/西洋/アフリカが鍵盤上で優雅に交差するさまで、ピアノからつむぎ出される音が一本の繊細な線となって東西世界を行き来するかように動き回ります。
=LP版=
+新カッティング
+インサート封入(英語・日本語掲載)




クレシェフスキーはナディア・ブーランジェとルチアーノ・ベリオに学んだ作曲家で、初期は電子音楽/テープ音楽をやっていたが、徐々に「ハイパーリアリズム(*注)」に接近し、その概念を取り込んだ音楽である「ハイパーリアル・ミュージック」の第一人者となった(一般にはこの音楽スタイルの創始者とされる)。日本では竹村延和氏のフェイバリット作家としても一部に知られる。
彼のハイパーリアル・ミュージックは、実際の生演奏に聞こえるが全て人工的な操作・配置で創作されたものである。そこでは人間による生楽器や肉声の演奏が素材となり、シンセサイザー(合成音)は用いられない。録音年、ジャンルを異にする楽音がいち作品中で任意に結合され、あるものは人間技では不可能な演奏に変容され、ある音は過剰に強弱・長短のアクセントがつけられる等々、彼の意匠をこらしたドラマ性とユーモアが加味されている。
本アルバムは近年の作品を作家が自選したコレクションで、鋭敏なリスナーならば、聞き進めるにつれて姿を現す、狐につままれたような世界に惑わされること必至!
*注:写真等を用いて対象を克明に描写する美術の潮流。「超現実主義」と和訳されるシュルレアリスムとは区別される。スーパーリアリズムともいう。
+ 解説:George Grella, Jr.(和訳付)
+ 通常ジュエルケース、ライナー封入
