限定クリア・ヴァイナル仕様。アート・パンク・バンドとして注目を集めたアーント・サリー、コニー・プランクのスタジオで、CANのホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトと共に制作されたソロ・デビュー・アルバム等、どれほど長い時間が経とうとも、Phewは、我々を甘やかすつもりはない。
「感傷的なものは排除したかった」と語る、約30年ぶりに《MUTE》から発売されるアルバム『ニュー・ディケイド』は、世界の、自己陶酔する偽物たちへの彼女からの断固たる反撃なのだ。「今の状況を考えると、私はラッキーだったのかもしれません。昨年は特に、生きているだけでもある意味、幸運という状況でしたから。ミュージシャンやアーティストとして、自分の気持ちを率直に語ることができるのは、このような状況下においてはある種の特権であり、それを濫用してはいけないと感じました」
これは、近年のPhew にとっての行動指針となっており、その特徴的なヴォーカルと、熱を帯びたドローン・シンセサイザーや、脆性なドラムマシーンなどを融合させた多数のソロ作品を制作してきた。パンデミックが起こるかなり前から、彼女は自宅で孤立して制作の仕事をすることには慣れており、近隣の住民の迷惑にならないように、声を抑えてもいた。『ニュー・ディケイド』では、ますますその雰囲気が濃くなっており、それは過去18ヶ月にわたり、ツアー活動を休止していた影響でもあるという。この荒涼とした、憑りつかれたようなアルバムは、ひび割れた、ダブ色の強いエレクトロニクスを背景に、英語と日本語で唱えられる空虚な言葉や、言葉にならない悲鳴やうめき声で構成されている。
タイトルの『ニュー・ディケイド』これは、かつては希望やダイナミズム(活力)を意味する言葉だったが、2020年代の幕開けに発表された新聞や雑誌の記事の多くは、今後どれだけ状況が悪化するかを予想したものばかりだった。「30年前には、“ニュー”という言葉は、進歩や物事がよくなることの同義語でした」と、80年代のバブル期の日本が熱狂した拡大主義を思い出して、Phewがいう。「今はもう、そんな事は信じていません」そして、このアルバムを通して、時間の認識についての、緩いコンセプトが流れているのだという。「80年代、そして90年代までは、物事が過去から現在、未来へという流れで進行していましたが、特に21世紀が始まって以来、その流れが変わってしまったと感じます。個人的には、現在から連なる未来というものが、見えなくなってしまいました」このことは、現在の彼女の作品の、身の置き所の無い性質に反映されている。Phew は、多くのアナログ・シンセのリヴァイヴァリストたちのように意図的にレトロにしているわけでもなく、最新のトレンドに追いつこうと、時間を無駄にしたりもしない。 Phewの音楽は、独自の周波数に共鳴する、時を超越した音楽なのだ。